2024年01月28日「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」

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恐れるな。語り続けよ。黙っているな。

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
使徒言行録 18章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

9ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
10わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
(9~11節)使徒言行録 18章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」

この御言葉は、主なる神様が、幻の中でパウロに語った御言葉です。パウロという人は、「イエス様こそ救い主である!」ということを力強く語り、各地で伝道してきました。そんなパウロに、神様は幻の中で励ましをお与えになったのです。

この「恐れるな。語り続けよ、黙っているな」との命令には、二つの約束が伴っています。ひとつは「私があなたと共にいる」という約束で、もうひとつは「この町には、わたしの民が大勢いる」という約束です。

神様は、恐れるパウロに「私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない」と約束されました。確かに、パウロはその伝道旅行の中で迫害されることはありました。表には出さなかったとしても、パウロの内面は、そのことに対する恐れがあったはずです。また、福音宣教も一筋縄ではいかず、受けいられず、苦しむことがありました。けれども、「主がともにおられる」という事実が、そんなパウロを支え、力づけます。私たちもそうでしょう。私たち自身はイエス様の救いの恵みをいただき、心からの喜びを抱き、平安を与えられています。けれども、これを人に伝えたいという思いをもっていても、これがなかなか伝わらずに苦しむことがあります。愛する家族や友人に受け入れてもらえないときは、本当に苦しいものです。けれども、そんな私たちの悩みをも、主はご存じで、その悩みの中に共にいてくださるのです。この事実があるから、私たちもまた、どれだけ挫折しても、もういちど立ち上がることができるのです。

 「わたしがあなたと共にいる!」との約束は、今の私たちにも与えられているものです。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。

マタイによる福音書28章19〜20節の御言葉です。復活のイエス様は、天にあげられる前、弟子たちに今の御言葉を語ってくださいました。イエス様は今も天にあって生きておられます。私たちの働きを見て、これが用いられるように、天でとりなしてくださっています。この、イエス様の約束に支えられて、私たちもまた、どんな状況にあっても勇気を出して語り続けることができるのです。

 しかしこれよりももっと大事なのは、その後の「この町には、私の民が大勢いるからだ」という御言葉です。「わたしの民がいる」とはどういうことか。それは、この町にいるまだ教会に加えられていない人々の中に、すでに神様が選び、これから導いていこうとしておられる人々が大勢いる、ということです。つまりコリント伝道において、パウロが語るよりも前に、主なる神様が、ご自分の民をすでに選んで、召し出しておられるのです。パウロがしている伝道は、この神様の選びと導きに対する奉仕です。私たちの伝道・福音宣教においても同じです。「この町には、わたしの民が大勢いる」。それはつまり、この滋賀県に、神様が既にご自分の民として選んだ方々が大勢いるということです。私たちは福音を証しすることによって、その人々を見出します。

神様が救いに定めた人が、この町には大勢いる。このことは、既に洗礼を受けて信仰者である方々にとっても、言い尽くせない感謝で満たされるような御言葉です。なぜなら、私たちが主を知る前から、実は、主が私たちをご存じであったということだからです。神様は、私たちが神を知るよりもずっと昔から、私たちのことを「私のもとに来なさい、あなたはわたしの民なのだから」と招いておられたのです。

キリスト者が教会に来るようになったきっかけは、親や友人に連れられてだったり、何か悩みを抱えていて話を聞いてもらうためだったり、色々あると思いますが、いずれにしてもその背後に実は神様の働きがあったわけです。私たちは、今ここにいる誰もが、主なる神様に招かれてここにいます。神様に「あなたは私の民だ!」と言っていただいて、イエス・キリストによる救いの恵みをいただいています。

そんな私たちが、今度は、その救いの恵みを隣人に届けるために、神様の働きに用いられる。そういう恵みが、伝道の業にはあるのです。そして、ある人が救いに導かれた時に「ああ、ここにも神様が選んでおられた神の民がいたのだ、私たちの仲間がいたのだ」と、驚きと喜びを伴った出会いが与えられます。そういう、恵みに満ちた、伝道の働きへと、私たちを促している。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」この御言葉には、「私があなたと共にいる」そして「この町にはわたしの民が大勢いる」という約束が伴っていているのです。これは本当に、私たちのこの1年間の歩みを励まし、支えてくれる御言葉になるに違いありません。

神様が見せてくださる宣教の実り。そこに期待をもって、私たちを通して豊かに神様が働いてくださるように祈りつつ、この1年間の歩みを共にしていきたいと願います。