2024年01月21日「子どもたちを主のもとへ」
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子どもたちを主のもとへ
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 19章13節~15節
聖書の言葉
13そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
14しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
15そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。マタイによる福音書 19章13節~15節
メッセージ
イエス様のもとに、子どもを連れた人々が大勢やってきました。
弟子たちは、イエス様を煩わせてはならないと思ってか、彼らを叱りつけて退散させようとします。けれども、イエス様はそんな弟子たちの様子を見て、「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない」と、同じことを二度繰り返して強調しながら仰いました。イエスさまは、ご自分のみもとに子どもたちが来るのを妨げてはならないと、強く願っておられるのです。
イエス様が子どもたちを大切に取り扱っておられる理由の一つ目は、子どもたちもまた、祝福をいただく権利をもっているからです。それは言い換えると、子どもたちもまた礼拝者だということです。イエス様は、「わたしのところに来るのを妨げてはならない」と仰いました。それは、子どもたちにとってもイエス・キリストが主であり、救い主だからです。イエス様は、子どもの唇によって神様が賛美され子どもが救いの恵みをたっぷりと受け取ることを喜んでおられます。
イエス様が子どもたちを大切に取り扱っておられる理由の二つ目は、子どもたちからこそ、学ぶべき点があるからです。私たち大人が、子どもたちから学ぶことがあるのです。イエス様は、「天の国はこのような者たちのものである」と仰いました。これはすなわち、天の国に入るための見本が、子どもたちの中に見出されるということです。信仰生活・教会生活において、子どもから学ぶべき点があるわけです。
当時の社会における子どもの存在とは、一人前の大人とは認められていない無力な者の代表でした。イエス様がそのような子どもたちに向かって「天の国はこのような者たちのものである」と仰ったということは、天国に入る条件として、何か社会貢献をするような能力的な価値は、関係ないということです。親に連れてきてもらわなければイエス様に近づくことさえできない無力な子どもたちが、ただイエス様に「来させなさい」と招かれることによって天国に入ることができる。このような無力さは、神への信頼の裏返しです。つまり、ただイエス様の憐れみにすがる人に、神様の恵みにすがる人に、天国の救いが与えられるのです。私たちが子どもから学ぶべきことは、この素直さと信頼性です。
イエス様が共におられることの喜び、平安。素朴に嬉しいという気持ち。こうしたものは、子どもたちと一緒に礼拝生活をすることで、さらに豊かに学ばされるものです。私たちもまた、イエス様がこの場所に招いておられる子どもたちを、大切に育み、子どもたちに教え、また子どもたちに教えられながら、まさに「みんなで」礼拝生活を送っていきたいと願っています。この場所に来られる方が、大人も子どもも関係なく、もっている賜物や背景に関係なく、ひとつの共同体として主イエス・キリストにある喜びをともにする。それが、神様が滋賀摂理教会に与えてくださっている大きな大きな恵みであることを覚えて、礼拝生活を共にしていきましょう。