2024年01月14日「聖書が語る結婚の祝福」
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聖書が語る結婚の祝福
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 19章1節~12節
聖書の言葉
1イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
2大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
3ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
4イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
5そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
6だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
(1~5節)マタイによる福音書 19章1節~12節
メッセージ
再びファリサイ派の人々が近づいてきて、イエス様を試そうとして離婚についての問いをなげかけます(3節)。
イエス様とファリサイ派との間でなされたやりとりは、直接的には離婚の合法性をめぐる問題を扱っています。けれども、やりとりの中で、そもそも結婚の祝福とは何かについて教えておられます。
イエス様が教えておられることは、モーセが律法の規定を授ける前に、神様が創造の時点で人間に定められた結婚の原理があって、その結婚の原理に学ぶべきだ、ということです(4~6節)。すなわち、初めから私たち人間は男女一対に創造されたのであって、互いに同等の価値・同等の尊厳をもって、互いに補い合いながら生きていく存在にされている。そして結婚は、神様の御心によって一対の男女が一人の人間のように結ばれることなのだ、と教えておられるのです。イエス様が教えておられるように、そもそも人間は、男性も女性も、神様によって「極めて良かった」という祝福のうちに造られた存在です。その男女が「一体となる」という結婚の祝福とは、人間同士の都合からできた制度ではなく、神様の定めた制度なのです。
その、神様が定めた結婚の制度を通して、私たち人間の男女は、神様がもっておられる愛と交わりの中に招かれています。あたかも神様が、父・子・聖霊という三つの人格をもっておられ、それぞれの人格が三位一体の交わりのうちにひとつであるように、神に似せて造られた私たちも、男性と女性が愛の交わりのうちにひとつになる。つまり、交わりの中で愛を現して生きるようにと招かれているのです。ですから、そもそも結婚は、神様の招きに応えてなされるもの、召命によるものなのです。
私たちが生涯の伴侶となる相手と出会う道はいろいろあって、不思議なものだと思います。恋愛をして結ばれること、紹介されて結ばれること、お見合いをして結ばれること、いろいろな形がありますが、この道を定めておられるのは神様です。まずはその背後で導いておられるのは神様だと認めることが、最初の出発点であり、そこには神様の本質的な姿を映し出すほどに神秘的で、祝福されたパートナーシップがあるのです。
人の生き方には、それぞれ賜物があります。結婚して生きる賜物が与えられた人は、互いに愛し合い、二人が一体となるという、言葉では言い表せない大きな恵み、祝福が与えられます。もちろん、夫婦の歩みとは、別々の人生を歩んでいた二人が一つになることですから、一筋縄ではいかないでしょう。ぶつかり合ったり、相手を傷つけてしまったり、反対に傷つけられてしまうこともあるでしょう。相手と一緒に「一体となって生きる」ということを学びとりながら歩んでいく。その積み重ねなのだと思います。それでも、御子の十字架によって私たちの罪を赦して、和解を生み出してくださった主が、私たちの間に作り出してくださる祝福が、夫婦に結ばれた愛の交わりです。