2021年09月26日「香ばしい贈り物」
問い合わせ
香ばしい贈り物
- 日付
- 説教
- 金原堅二 伝道者
- 聖書
フィリピの信徒への手紙 4章15節~20節
聖書の言葉
15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。
16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。
18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。
19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
フィリピの信徒への手紙 4章15節~20節
メッセージ
パウロは手紙を締め括るにあたって、特にフィリピ教会がパウロに贈った贈り物について語っていきます。
パウロは捕らえられ、獄中にあって窮乏の中で生活していました。そんなときに受け取ったフィリピ教会からの贈り物、つまり支援物資は彼の生活にとっては大変有難いものであったでしょう。パウロは贈り物を喜びました。けれども、それは決して彼自身の生活の貧しさが救われたから喜んだのではありませんでした。パウロにとって重要なことは、贈り物によって物質的に満たされていることではなくて、いついかなる時も神様によって満たされることにあったのです。
フィリピ教会は何度もパウロに贈り物をおくりました。確かにパウロにおくったのですが、神様の恵みを受け取ったフィリピ教会が、神様の働きのために用いられることを喜んでおくった贈り物でありました。パウロが喜んでいるのはこのフィリピ教会の信仰の果実です。神様の働きのためにささげられた贈り物は、パウロにとっては、「わたしの働きに参加(15節)」している「しるし」なのでした。
キリスト者の交わりは「受けるよりは与える方が幸いである(使徒20:35)」と言われますが、私たちは自分が与えていると思っている時にも、様々な場面で「実は誰かが与えてくれている」ものです。それを考えると、人の厚意を受け取って、その助けを受けることもまた大切だと思わされます。誰かの助けを「受ける」ことは、自分が決して完璧な者ではないと気付かされることであり、究極的には一切のことを神様から受け取っていることに気付かされることでもあるからです。ですから、「受ける」ことは私たちを謙遜にさせます。与えることに大きな喜びがあるのと同じように、受けることを通して、私たちは与えてくれた人と一緒になって神様の賜物を喜ぶことができます。全てのことは神様から来ているのであって、そこで行われる「やりとり」は、もはや個人と個人の者の分配というお話しでは終わらないのです。
パウロはフィリピ教会から受け取った贈り物を「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです(18節)」と言います。「香ばしい香り」とは、旧約のイスラエルにおいて、神様に対して、動物を焼き尽くすささげものをささげる際に生じる煙の香りから来ている表現です。つまり、この贈り物は、神様にささげられたものだと言っているわけです。それはもちろん、パウロ個人の富のためではなく、神様の働きのためにささげられたものだからです。
キリスト者にとっての贈り物の本質はここにあるでしょう。物のやり取りとは、人間関係だけで満たされるものではありません。神様との関係で見つめることによって、私たちの健全な交わりは生み出されるのです。なぜなら、私たちが贈り物をするよりも先に、神様の方が私たちのために御子イエス・キリストをささげてくださったからです。神様が恵みによって私たちを救いに入れてくださった幸いが先にあって、この幸いの中で私たちは互いに助け合い、必要を満たしていく交わりを形成するのです。