2023年12月24日「クリスマスの光(キャンドル礼拝)」

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クリスマスの光(キャンドル礼拝)

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 1章14節

聖句のアイコン聖書の言葉

14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネによる福音書 1章14節

原稿のアイコンメッセージ

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14)

 神の言葉・神の思いの現れであるイエス・キリストが、人の肉体をとって、私たちの間に宿られました。イエスの誕生は、ただ普通の男の子が生まれた、というだけのことではありません。すべての人を照らすという、神様からの救いの光が、この世界に誕生したということ。この命の光である救い主の誕生を喜び祝う日が、クリスマスです。そのために昔から教会は、ろうそくに火をつけて、クリスマスを祝ってきたわけです。

 イエス・キリストは、私たちの人生の旅路を導く、まことの光です。その光の誕生は、家畜と飼い葉の匂いのする小さな家畜小屋での、ひっそりとした慎ましい誕生でした。しかし、これはその慎ましさにもかかわらず、まことの光が暗闇の中で輝き始めた出来事だったのです。イエス様の誕生は、まるで真っ暗な場所に一筋の光が差し込むように、この世界と私たちの人生を照らし、命ある道へと導いてくれる。どこに進めば良いのかを教えてくれる光の誕生であったのです。

 イエス・キリストは、どのようにして私たちの人生を導いてくださるのか。その照らし方は、独特無比な方法でありました。イエス様は、ご自分の命を燃やすことによって、私たちを照らしてくださるのです。イエス様の生涯、その最後は、十字架の上での悲惨な死でありました。私たちのもつ罪を、その身に背負って、神様からの刑罰を受けてくださったのです。私たちが受けるはずだった神様の裁きを、その身に引き受けてくださったということです。イエス様は、飼い葉桶での誕生から十字架の死に至るまで、ご自分の命をささげ尽くして、私たちに与え尽くして、そうすることによって私たちの人生を照らしてくださったのです。その照らし方は、まるでろうそくの灯りのようだと思います。ろうそくの火は、灯芯を燃やしながら光を放っています。自分自身を燃やしながら、光を放ちます。その光によって、私たちは互いの顔を見渡すことができる。イエス様の命の光も、これに似ていると思います。

 イエス様が十字架の上で死なれたのは、私たちの命を買い取るためです。罪と滅びへの道から、私たちを命ある道へと買い戻すため。私たちの人生をまことの光で照らし、喜びを得させるため。そのために、イエス様はご自分の命を燃やして、私たちとこの世界を愛し抜かれたのです。ですから、この光は、私たちとこの世界を愛された、神様の、そしてイエス・キリストの愛の光に他なりません。 

 たとえ私たち自身が、もう光を見出せないのではないか、と望みを失いそうになったとしても、イエス・キリストというまことの光は私たちを照らし続けています。私たちをあたたかく包みこむ愛の光はここにあります。イエス・キリストの光が、私たちをあたたかく照らし続けています。