2023年12月10日「限りない赦し」

問い合わせ

日本キリスト改革派 滋賀摂理教会のホームページへ戻る

聖句のアイコン聖書の言葉

21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」マタイによる福音書 18章21節~35節

原稿のアイコンメッセージ

イエス様は「仲間を赦さない家来」の譬え話をしておられます。

この譬え話を通して、イエス様は「なぜ、兄弟姉妹を赦すのか」という、「赦し」の理由を深めようとしておられるのです。この譬え話は、ストーリー自体は単純で、基本的には読んでそのまま理解していただけるような話になっています。

この譬え話は、借金をモチーフにしています。家来は1万タラントンを借りていたわけですが、これは国家予算としても大きな金額です。そのような、個人ではどう足掻いても返済不可能な金額を免除してもらった、とだけ理解していただければかまいません。譬えの中で王様は、何の罰も与えずに、一方的に赦してしまったのです。なぜ、王様はそんな莫大な借金を赦したのか。その理由は、27節にある「憐れに思って」とのひとことです。ひれ伏してしきりに「赦してください」と願う家来の姿を見て、この王様はただ、深い憐れみをに突き動かされて、一方的にこの家来を赦したというのです。

この王様とは神様のことを表しています。そして、家来が抱えている借金とは、私たちが抱えている罪の負債のことです。

私たちは、神様の前に莫大な罪の負債を抱えています。どれほど地上で徳を積んでも全く意味をなさないほどに、罪の負債は大きく、まるで積もり積もった借金のように増えていくばかりです。

けれども、そんな私たちの罪を赦すために、神様はイエス・キリストをこの世に送ってくださったのでした。独り子を与えて死に至らせるなどということは、神様にとって大きな痛みだったに違いありません。けれども、ただ私たちを憐れみ、今ここにいるひとりひとりを愛しておられるゆえに、神様は私たちの罪を全てイエス様に集中させて、呪われた刑罰である十字架につけておしまいになったのです。私たちもまた、神様から莫大な罪の負債を赦されて今ここにいる、ということをよくよく覚えておきたいと思います。

王様から1万タラントンを帳消しにしてもらった家来は、大喜びで家に帰っていったことでしょう。ところが、その途中で、仲間に出会いました。

この仲間もまた自分に借金をしていて、今度は自分がその借金を赦してやらなかった、というのです。

イエス様がこの譬え話を語っておられるのは、なぜ私たちが隣人の赦すのか、という赦しの理由を明確にするためです。

それは、この話によるならば、私たちもまたこの家来と同じように、莫大な大きな罪を赦されたからです。私たちが抱える罪の負債は、一生かかっても返済する事のできないような途方もないものです。それを、イエス・キリストが十字架にかかって支払ってくださったのです。そんな莫大な罪の負債を赦されたのだから、私たちもまた他の誰かを赦すようにと促しているのです。

その赦しは、35節でイエス様が言っておられるように「心からの」赦しです。「○回までは赦そう」(21節)といった、怒り爆発を先延ばしにするようなことではなく、心から赦し切るような、限りない赦しです。