2023年12月03日「心をひとつにして祈るところ」
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心をひとつにして祈るところ
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 18章15節~20節
聖書の言葉
15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイによる福音書 18章15節~20節
メッセージ
今日のところでは罪を忠告することが教えられています。
そもそも聖書が語る罪とは、神の言葉、あるいは神様の御心に背くことです。その神様の御心とは、イエス様が律法を二つに要約してくださったように、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」とのことでした。今日の箇所では具体的なケースについては何も書かれていませんが、神様と隣人への愛に背くこと、それも教会につまずきを引き起こすような重大な違反について語っているものです。
では、その罪の忠告は何のためにするのか。それは、信仰の兄弟姉妹が、異邦人や徴税人と同様に(17節)みなされないように、愛の手を差し伸ばすためです。
イエス様は、決して「言うことを聞かない人を教会から切り離す」ための手順を教えているのではなくって、むしろそうならないように、悔い改めに導くことを教えておられるのです。一人の兄弟姉妹が神様に立ち返り、再び神様のもとで生きるために、その人に対する愛をもって罪を忠告することです。
教会の中で、罪を犯してしまった人に対してどのように対応したらよいのか、イエス様は段階を踏んで語っておられます(15~17節)。個人的な話し合いから始まり、二人〜三人の証人を伴い、そして教会に申し出る。そうした実際上の手順も大切なことですが、ここは単に機械的な手続きのことを教えているのではありません。
イエス様は心をひとつにして祈り求めることを教えておられます(19節)。つまり、こういう問題が出てきたときに、私たちにとって本当に必要なことは、心を合わせて、イエス・キリストの名によって祈ることなのです。この兄弟姉妹が、周りの声に耳を傾けて悔い改めに導かれるように。罪の中で信仰が失われ、滅びてしまうことがないように。神様が与えてくださる命を回復し、救いの恵みに生きるように。相手が悔い改めて立ち返ることができるように、相手のために祈ることです。また、相手が悔い改めて戻ってきた際に、いつでも温かく迎え入れる心の備えができるように、自分のためにも祈ることです。
これらのことを、愛をもって祈ることこそが、その人を罪から引き戻す力です。なぜなら、そうして祈るところに、イエス・キリストが共にいてくださるからです(20節)。私たちが心をひとつにして祈るところに、イエス・キリストが共にいてくださいます。その意味で、私たちにとって必要なことは、集まって祈ることです。もちろん個人で祈ることも大切ですが、加えて、集まって祈ることで、私たちは互いの重荷を分かち合います。そうして労苦を分かち合うことを通し、兄弟姉妹の戦いを共に戦うことを通して、キリストにある真実な交わりを形作ります。共同の祈りには、教会を温かく誠実な共同体として建て上げる力があるのです。そうやってバラバラではなく一つの信仰に立って、その信仰者の群れが熱心に神様を呼んで、その人のために執りなして祈ることが、最終的に兄弟を得ることへとつながっていくのだと、よく覚えておきたいと思います。