2023年10月15日「栄光の主キリスト」

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聖句のアイコン聖書の言葉

1六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
4ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
5ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
8彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
(1〜8節)マタイによる福音書 17章1節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今日の御言葉では、イエス様がご自分の栄光の姿を一時だけ垣間見せてくださいました。

イエス様は、ご自分が「受難を受け、十字架の上で殺されることになる」という予告をされました。けれども、イエス様の十字架は、十字架では終わりません。その先に復活があることを同時に予告しておられます。その予告通り、イエス様は死んで三日目に甦られ、天に昇られました。今や、神の右に座ってイエス様本来の栄光あるお姿でおられます。また、世の終わりにはその栄光あるお姿で再び来る、と約束しておられます。その復活の主の、確かな権威と、御力、栄光を、弟子たちに体験させてくださったのです。

 ペトロはこれを見て「仮小屋を三つ建てましょう」と言いました。ひとつはイエス様のため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。なぜ、そのように言ったのか。おそらく彼らに住んでもらうためです。簡単に言い換えれば、この栄光ある状態を保存するためではないかと思います。

 ペトロの気持ちから考えてみると、そのように提案した理由がわかるのではないかと思います。今、ペトロはイエス様に従って旅をしています。イエス様には敵対者たちがいます。イエス様を神の御子、救い主と認めない人たちがたくさんいます。そんな人たちが、もし、この栄光あるイエス様のお姿を見たらどうでしょうか。イエス様は今、ユダヤ人社会で有名な、最も尊敬されるモーセとエリヤと語り合っています。旧約の御言葉と深いつながりがあって、しかも人間の出せない輝きを放っておられる様子がわかります。誰が見てもはっきりと「この人こそがメシアだ!」と言えるような状況です。ここに仮小屋を建てて、イエス様とモーセとエリヤが住んでくれるなら、敵対者たちにも胸を張って主の栄光を見せることができる!…このようなことを考えたのかもしれません。

 ところが、ペトロが言った「仮小屋を建てましょう」という提案は、神様の御心に沿うものではありませんでした。そのため結局、ペトロが話終わらないうちに、その言葉を遮るようにして、光り輝く雲が彼らを覆い、天からの声が聞こえてくる(5節)という結果になるわけです。

 ペトロの提案の最大の誤りは、十字架の苦しみを避けようとしたことです。ペトロが言ったことは、要するにモーセやエリヤをこの場に引き留め、この天国のような栄光ある場所を保存し、そこに留まろうとすることでした。そうすれば、イエス様は十字架の苦しみを受けなくて済むし、従う自分もまた、苦しみを受けることなくその栄光を享受することになるからです。ペトロの心のうちにあるメシア像がまだ、十字架の苦難と復活に結びついていなかったのだと思われます。それゆえ、天からの声は「これに聞け」「このイエス・キリストに聞き従いなさい」と語りかけるのです。まことに、イエス様に従う弟子たちは、自分の思いを捨てて、神様の御心が実現するように、自分の十字架を背負って従うものだという前回の教訓が、ここでも繰り返されていると言うことができます。