2023年10月01日「岩の上に立つ教会」
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岩の上に立つ教会
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 16章13節~20節
聖書の言葉
15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
(抜粋)マタイによる福音書 16章13節~20節
メッセージ
18節の御言葉を見てただちにわかりますことは、イエス・キリストが教会を「わたしの教会」と仰ったことです。教会は、主イエスが「私の教会」と呼ばれ、キリストの御心によって成立しているのです。それゆえ、私たちは何よりも、教会の中に主イエスの支配が鮮やかに現れることを考えなければなりません。教会は、決して牧師が支配する場所ではありません。あるいは信徒の誰かが所有し、支配する場所でもありません。イエス・キリストが建てあげ、所有し、統治し、臨在される場です。
イエス様はご自分の教会を「この岩の上にわたしの教会を建てる」と仰いました。では、その教会の基盤となる「岩」とは何のことでしょうか。
イエス様が「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言ったときの「岩」という言葉は、ギリシャ語で「ペトラ」という発音です。「あなたはペトロ、わたしはこのペトラの上に」と言っておられるわけです。
では、シモン・ペトロは果たして教会成立の基盤となるような堅固な土台だったでしょうか。確かにそういう理解はあります。カトリック教会では、この「岩・ペトラ」をシモン・ペトロ個人と理解します。そのため、ペトロの後継者であるとするローマ教皇が、教会の基盤になり、教皇制度、教会のシステムが構築されています。しかしながら、ペトロ個人が教会に対して、そういう大きな権威をもっていたことは福音書にも使徒言行録にもまったく記されていませんし、むしろガラテヤ書では、ペトロの教理上の失敗さえ描かれており、パウロから非難されたことが記されているほどです(2:11)。
では、イエス様が仰った堅固な土台、すなわち「岩」とは何のことを言っているのでしょうか。それは、ペトロ個人のことではなく、ペトロのした信仰告白のことを言っているのです。イエス様のことを「救い主メシア、生ける神の子です」と言い表した信仰告白のことで、この告白のことを、イエス様は「岩」と呼んでくださるのです。
この信仰告白を注意深く読むと、ペトロが、弟子たちを代表して行った告白だとわかります。15節でイエス様は「それでは、あなたがたは、わたしを何者だと言うのか」と問いかけておられます。「あなたがた」と言っておりますように、イエス様の質問は、ペトロ個人に向けられただけではなくて、弟子たち全体に向けられているのです。ということは、ペトロの答え、信仰告白は、ペトロ個人のものであると同時に、弟子たち全体のものだったわけです。
イエス様が「わたしの教会を建てる」と仰った堅固な土台とは、この信仰告白の言葉です。なぜなら、これはあくまでも天の父が現してくださったものであり、神の力によってなされた言葉だからです(17節)。それゆえに、これは揺らぐことのない堅固な土台だと言うことができるのです。その土台が揺るぎないものですから、ここで礼拝をささげることで、私たちはこの礼拝で信仰が育まれ、養われ、成長させられていくのです。これは、私たちにとって大きな恵みです。