2023年08月06日「恐れから平安へ」
問い合わせ
恐れから平安へ
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 14章22節~36節
聖書の言葉
22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。
23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。
25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
…
33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。
(抜粋)マタイによる福音書 14章22節~36節
メッセージ
イエス様は、ひとり静まって祈るために山に登られました(23節)。ところが、その間、弟子たちを乗せた舟が嵐に遭遇します(24節)。弟子たちはイエス様のいない湖を、小さな舟で漕ぎ出して行かなければなりませんでした。
私たちの人生においても、この船旅のようなことがしばしば起こるのではないかと思います。人生の行き詰まり、挫折を経験することがあります。向かい風に悩まされて、一生懸命に漕いでも漕いでも先に進めないような時があります。暗闇の中で、自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかもわからない。不安でいっぱいになって、「神は何をしているのか」「イエス様はどこに行ってしまったのか」と叫ばずにはいられない時があるのではないかと思うのです。
そんな私たちのために、今日の御言葉の中で、イエス様は、二つの方法でご自分を現しておられます。一つは、イエス様が弟子たちのところに来てくださった、その方法にあります。イエス様は「湖の上を歩く」という特別な方法で弟子たちのところに行かれました。普通はあり得ないことですが、イエス様にとって、そこが湖の上であることなど関係ありません。ご自身の定めておられるときに、全く自由に、まっすぐに弟子たちのもとに向かって行かれます。嵐も、波も、逆風も、何ものもその歩みを止めることはできません。やがて十字架の上で来る「死」でさえも、イエス様の歩みを止めることはできませんでした。イエス様は、神の御子としての御力によって、特別な仕方で、弟子たちを助けるために近づいて来られます。
もうひとつは、イエス様が弟子たちを励ました言葉にあります。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。…特にこの「わたしだ」という言葉が、実は特別な言葉でありまして、ギリシャ語では「エゴー エイミー」という言葉になっています。これは旧約聖書の中で、神様がご自分のお名前を示す言葉として用いられたものでした(出エジプト記3:14)。つまり、イエス様はご自分を父なる神と同一視しながら、ご自分の神としての権威を現して弟子たちに近づかれたのです。まさに、モーセが燃える柴の木のそばで生けるまことの神と出会ったように、弟子たちにもまた、生けるまことの神との出会いが与えられたのでした。
同じように、現代の日本においても、神様は生きて働いておられます。確かに、私たちの目には見えないかもしれません。触れることもできないかもしれません。それでも、私たちの目に見える現実を超えたお方が、礼拝の場で、確かにご自分を現してくださって、私たちと共にいてくださいます。神が生きてここに臨在しておられる。主イエスが共にいてくださる。聖霊が、私たちの心を開いてくださる。父・子・聖霊なるまことの神が、御言葉を通して「安心しなさい。わたしだ!恐れることはない」と語りかけてくださる。それが、この世の荒波の中で歩む私たちにとって、何よりの励ましであるのです。