毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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悲しみが喜びに ヨハネ16:16-24
イエスが「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」(16:16)と話すと、弟子たちは「何を話しているのか分からない」(18)、「父のもとに行く」と言ったことも分からないと言い合いました。
この時の弟子たちに分からないのは当然です。十字架と復活、昇天を指しており、実際にことが起こってはじめて分かることであるからです。すなわち、救い主としてのみ業は、実際に目で見ないことには理解できることではないのです。
しかし、ことが起こった後に「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(13)のです。
「はっきり言っておく」は、ギリシア語「アーメン。アーメン。」の訳であり、大切なことを語るときのまくらことばです。
その時が来たら、「あなたがたは泣いて悲嘆にくれるが」(20)「悲嘆は喜びに変わる」。イエスの十字架刑は、ガリラヤから従ってきた弟子にとって絶望そのものであり、一度は悲嘆にくれることになります。しかし、イエスが復活した事実と、そのことの意味を知った時には大きな喜びに一転いたします。その喜びとは、イエスが復活したこと自体も喜びなのですが、イエスの復活が信じる者たちの復活を約束することを知ったとき、本当の意味での喜びがおとずれました。ロマ6:3-5には、イエスが死んで葬られたとき、信じる者も一緒に死んで葬られたのであり、イエスが復活したとき、わたしたちも復活したのである、という不思議な書き方がされています。
イエスは、苦難と復活にある逆転劇を女性の出産の苦痛と赤子を手にしたときの喜びにたとえました。イエスの時代の出産は命がけであり、その中から新しい命が生まれたときの喜びは何ものにもまさったはずです。
イエスの復活に秘められた救いの喜びは、誰も、また何事であっても奪い取ることはできません(Ⅰコリ15:54,55)。