毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしは道である ヨハネ14:1-7
今年の年間聖句は「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)です。本日は、道について、12日は真理について、19日は命について取り上げます。
この聖句の前提は「神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい」(1)とある、イエスを信じることです。イエスを信じる者に「わたしは道、真理、命である」と語られています。
わたしは道であるとは、文字どおり道路であるということではなく、道に似ている、道にたとえることができる、ということです。
イエスが救い主であることは間違いないのですが、いかなる救い主であるかを教える場合、長々と説明するのではなく、「道である」と端的に示しているのです。あなたのお母さんはどんな人と聞かれたとき、何と答えますか。長々と説明しますか。「わたしの太陽」と答えますか。短い方が強く伝わるものです。
ただし、もう一言「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」とつけ加えています。「父のもと」とは、神の救いのことです。イエスだけが神の救いに至る道です。
イエスを信じるなら必ず救われる。イエスは十字架によって罪と死の支配を無力にし、命への道をひらいてくれた。イエスが父のもとへ導いてくれる。イエスが生涯にわたって共にいて守ってくれる。その時が来たならイエス様自ら天に招き入れてくれるなどなど、イエスが父に至る唯一の道であることの意味は多様です。各々にとって、イエスがわたしにとって道であることの多様な意味を考えてみてください。
ウ小教理は、イエスとはいかなる意味で救い主であるかについて、問23~27にて預言者、祭司、王とまとめています。これも説明し尽くせない救い主の意味を、旧約聖書の中の預言者、祭司、王をたとえに使って整理したものです。「わたしは道である」は、問26に教えられている王の働きといえます。「わたしは真理である」は問24の預言者の働き、「命」は問25の祭司働きといえます。