毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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今が一番幸せ マタイ5:1-13
NHKのプロヂューサーが、100歳以上の方々にいつが幸せでしたかと聞くと、今が一番幸せですとほとんどの方が答えたということです。長生きの秘訣は、今が幸せだと思えることではないでしょうか。
聖書の中で最も「幸せ」が強調されている箇所がマタイ5:3-12であるといえます。なぜなら、「…人々は、幸いである」が印象深く繰り返されているからです。
最初の「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」(5:3)は有名な聖句です。心が貧しいとは、ただ心がさもしいとか、心がひねくれているという意味ではありません。自分の中に愛がないこと、優しさがないこと、平安がないこと、すなわち心の貧しさを自覚して、神に向かって嘆き、訴えることです。その人は幸いである。大切な点は、神に向かって、神を前にして、ということです。
なぜなら天の国はその人のものだからである、とイエスは断言しました。天の国とは、神の救いという意味です。
嘆くことが救いの入り口であるとはどういうことでしょうか。神に嘆くとは、これまでの自分の生き方、考え方を転換することに通じるからです。神なき自分の人生・世界と、神の助けがある人生・世界とでは、生き方・考え方が違うはずです。自分だけが頼り、ではなくなります。
4節以下も、同じく神を前にして「〇〇の人々は、幸いである」という意味です。ただし、わたしたち日本人には、神を意識してものを考えるということが分かりづらいかもしれません。自然が神であったり、自分の信心に神的力を見るなど、神があいまいであるからです。
それゆえ、イエス・キリストという救い主を思い起こし、この方の前を前にして3節~11節を読んでみてください。
結局のところ、キリストを得て「心の貧しい人々」、「悲しむ人々」、「柔和な人々」は幸いである、これが聖書が教える幸いです。キリスト者にとって一番幸せなときは、キリストが共にいることを感じる時ではないでしょうか。また、この幸いはこの世の長寿を超えて永遠です。