毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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互いに足を洗い合え ヨハネ13:12-20
イエスが弟子の足を洗ったのは、洗うことそのものに霊験あらたかな効果があるからではありません。イエスの洗足の行為に十字架の救いが象徴されていることを理解した者には、イエスが直接足に触れたごとく、確実にイエスの救いにあずかっていることを悟らせるためでした。
それゆえ、イエスが自分の足を洗った行為の中に十字架の救いを見て、二つを結びつけることが弟子たちにとっての宿題として残されました。ユダには宿題が解けず、ペトロたちは宿題を解きました。
なお、イエスは「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(13:14)と語りました。これは、弟子たちとわたしたちに対するもう一つの大切な宿題です。
十字架はあなたがたが行うべき模範であると言われたなら、わたしたちは絶望するだけです。決してできませんから。しかし、足を洗うことならできます。それゆえ、あなたがたは、それを模範とし、互いに足を洗い合いなさいと命じたのです。もちろん、文字どおり足を洗うことではありません。イエスの救いにあずかった者として、互いに仕え合い、隣人に仕えることなのですが、それが各々にとって何をすることなのでしょうか。それがもう一つの宿題です。
イエスは、弟子たちの足を洗った後、「あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』と呼ぶ。そのように呼ぶのは正しい。わたしはそうである。」と語りかけ、僕の姿と振る舞いを弟子たちに示した直後、自分が「先生」であり、「主」であることを強調しました。
イエスにとって、主であることと僕であることとは同じ一つのことでした。それだけではありません。イエスは自分のことを「わたしはある」ということだと(19)言いました。「わたしはある」とは旧約聖書が教えた神の名前です(出3:14)。聖書の神とは、イエスのことであり、しもべとなって仕える者であること、これをイエスは弟子たちに教えました。仕えることは、人がどう考えようと、神々しいことなのです。