毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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イエス、弟子の足を洗う ヨハネ113:1-19
ヨハネ福音書は13章から17章まで、十字架直前のイエスと弟子たちとのやり取りとイエスの祈りが続きます。
ここには「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13:1)イエスが描かれています。このことは、「弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふく」(5)姿に端的に示されます。というのは、「すでに悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた」(2)とありますが、イエスはこのユダの足も同じく洗っているからです。また、ペトロがイエスを三度知らないと誓って裏切ることも知っていますが、このペテロの足も洗っています。
これは、「世にいる」弟子たちを文字どおり愛し抜くイエスです。世にいるとは、罪と弱さの中にいるということです。自分を裏切り、見棄てる弟子たちを、この世から父のもとへと昇って行くことを前にしてこよなく愛しているのです。罪と弱さの中にいるわたしたちをも、同じく愛し抜いてくださるのが、イエスです。
イエスは食事の席から立ち上がり、身分の低い僕の姿になり、弟子たちの足を洗い、手拭いで吹き始めペトロの番になったところで、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」(6)と、ペトロは思わず聞きました。「わたしのしていることは、今あなたがたは分かるまいが、後で、分かるようになる」(7)とイエスが答えると、ペトロは「わたしの足など決して洗わないでください」(8)と断ったのです。ペトロには、イエスの意図がまったく分かりませんでした。
イエスが救い主であるのは、権威を振りかざして人を支配することにあるのではなく、人に仕え、自らを犠牲にすることに人間らしい姿があることを、身をもって明らかにしたからです。ペトロと教会には、その生き方に永遠の命が力強くあらわれることを悟らせたいのです。
イエス・キリストの救いにあずかるとは、しもべとしてのイエスに神の救いを、また神の至上の権威を見出す者になることです。足を洗うイエスに救い主の姿を見ることがペトロと教会には必要でした。