毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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イエスを信じない理由 ヨハネ12:36-50
キリスト教の基本はイエス・キリストと聖書であり、聖書が教えるとおりにキリストを救い主と信じるのがキリスト教信仰です。
聖書とは、神がご自分とその救いをわたしたちに明らかにする(啓示する)ために与えた書であり、啓示の書と言います。この聖書は旧約聖書と新約聖書からなっています。
旧約聖書は、イエス・キリストが登場する前に、イスラエル民族をとおして神が救い主(メシア)を預言した書です。イエス・キリストは、この旧約聖書が預言した救い主であり、キリストの十字架による救いは、旧約聖書の預言の成就です。
新約聖書は、イエス・キリストの十字架の救いが成就し、教会が誕生した後、キリストの救いを伝えるために教会中で記された書物です。新約聖書には、旧約聖書を引用しながらキリストの十字架の意味を説明する場合がたくさんあります。本日の聖書箇所12:38に「預言書イザヤのことばが実現するためであった」とあるのもその一つです。
それなら、ユダヤ人は旧約聖書にしたがってイエスを信じたはずなのに、実際にはイエスを受け入れず、拒否し、十字架につけてしまいました。なぜイエスを受け入れることができなかったのでしょうか。その理由が今日の箇所に記されています。
理由の一つは、神がそうさせたのだ、としてイザヤ書が引用されています。ただし、話はそう簡単ではありません。旧約聖書を読んで、ユダヤ人は力強い堂々とした王のごときメシアを待ち望んでいました。しかし、イエスは辺境の地ガリラヤの片田舎ナザレから出て来た大工であり、聖書の専門家に反する教えを語り、神に捨てられたのも同然の罪人たちの味方をし、ついには処刑されるというみじめな最期を迎えました。にもかかわらず、自分は神の子であるとも主張しました。
ユダヤ人が期待したのとは正反対の、奇妙キテレツな男でした。ユダヤ人の不信仰の原因は、そのようなメシアを遣わした神にある、いわば神の救いの不思議さがユダヤ人の心をかたくなにしたのです。