毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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宗教って必要?
『いま宗教に向きあう 現代日本の宗教事情』(岩波書店 2018年)によると、現在、信仰とか信心を持つ人は30%ですが、宗教的な心を大切だと思う人は70%だそうです(宗教ではなく宗教的な心である点に注意が必要です)。また、初詣や受験祈願のような習慣化された神道行事、仏式葬儀や墓参り、縁起やおみくじ、ちまたにあふれる星占いなどを拒絶する真の「無宗教」者は1割程度だとのことです。自分は無宗教だと思っていても、本当に一切の宗教行動を行わないという人は少数だということです。
教祖がいて、施設と儀式があり、教義を持ち、布教するというせまい意味での「宗教」に限定せず、宗教の定義を広く取るなら、現代日本において宗教が必要とされているといえます。
聖書によると、人は神のかたちが与えられたものとして創造されたので、神と共に生きる、すなわち宗教的な存在です。それゆえ、近代以前には、神のいない人間社会はなかったといわれます。聖書の神は知らなくとも、神をもっていました。八百万(およろず)の神と言われるように、日本も数えきれない神々をあがめていました。
パウロが活躍したギリシア、地中海世界もギリシア神話のとおり神々の世界でした。パウロがアテネで見た『知られざる神に』と刻まれた祭壇は、人が宗教的な存在であるかということを物語っています。
箴言3:11に、神は「永遠を思う心を人に与えられる」とあります。永遠とは、聖書では神のことです。永遠を思うとは、目に見えるものだけで満足せず、見えるものの裏に、奥に、先に神の世界(意図・計画)を見ようとすることです。パウロは、ステパノを殺害したことに神の計画(意味づけ)を知って、生きることができました。
無意味であることに、人は耐えられません。世に不条理や不安が満ちていても、生きることに意味があるなら人は生きられます。神と共に生きるとは、神の愛の内にこの世に生まれ、今生きており、意味のある生涯の終わりをむかえることができるということです。