毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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人間らしき生きたい
人間らしくの「らしい」とは新明解国語辞典によると「‥‥といわれる諸条件を備えている様子」という意味です。
牧師らしい、学者らしい、というときには、牧師ならこうである、学者ならこうであるというある理念(理想像)があって、それとの関係で「牧師らしい」とか「牧師らしくない」というここになります。
憲法第25条は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」との理念をかかげ、続けて「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上および増進に努めなければならない。」と書いています。理念があってこそ、具体論がでてきます。
同じく、人間の本来のあり方(理念)があって、人間らしく「生きる」という考えが成り立つのですが、人間とはそもそも何なのでしょうか。これについての答えは、見方によっていくつもあるといえます。
キリスト教、すなわち聖書が教える人間とは、創造において神の似姿が与えられているので、神と共に生きることが本来の人間の姿です。これは理想的な理念です
。
同時に、人は弱い存在であることも聖書が教える人間の本当の姿です。強くて、正しくて、立派であるというのではなく、弱くて、間違いやすく、おろかしいのがわたしたち人間です。なぜウクライナやガザ、その他多くのところで戦争や紛争が絶えないのでしょうか。人間が弱い者であるからです。この弱さを聖書では罪といいます。
人間らしく生きるとは、神と共に、弱い者として生きることにあるということができます。弱いからこそ神の救いがあるのです。弱い者であるからこそ、互いに助け合うことが必要です。
「神は愛なり」(ヨハネ4:8)と聖書は教えます。神(愛)と共に、弱い者として生きるとは、愛を尊び、愛することにおいて豊かである人生を生きることであるといえます。キリスト者の生き方は、信仰と悔い改めです。信仰とは神を求め、悔い改めとは弱さを認めることです。