毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしは復活であり、命である ヨハネ11:17-27
イエスはベタニアに行きましたが、「ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた」(11:17)。
マルタはイエスを迎えに来て「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」(21)と話しました。けれども、イエスはラザロが死ぬのを待って来たのであり、弟子たちには「ラザロが死んだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった」(14)と語っていました。
マルタは気持ちを正直にイエスに伝えたのですが、イエスの考えとマルタの気持ちにはズレがあるのです。イエスは死んで腐りはじめていたラザロを生き返らせるために来たのですから。そして、このズレが正されることを通して、イエスについてのマルタたちの理解と信仰が深まっていく点が大切なのです。
わたしたちとイエスの間にも、さまざまなズレがあるはずです。このズレが解消されることをとおして、信仰が養われ、キリスト者として成長していくのだといえます。
イエスはマルタに「あなたの兄弟は復活する」(23)と語ります。マルタが「終わりの日の復活の時に復活することは知っています」(24)と答えると「わたしが復活であり、命である」(25)とその答えを否定しました。ここにもズレが見えます。
マルタはユダヤ人、特にファリサイ派が持っていた一般的な義人の復活のことを口にしたのですが、この直後、イエスはラザロを復活させました。復活とは、終末の日のできごとではなく、イエスが起こすことであり、イエスのもとに復活があることを示して、キリスト教固有の復活の奥義を教えたいのです。
わたしたちが信仰を得てイエスに結びついた時、イエスの復活がわたしたちのものとなり、古い自分を脱ぎ捨て、新しい復活した自分を着るのです。それゆえ「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(25,26)のです。