毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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見えるようになった ヨハネ9:1-17
2月25日以来のヨハネ福音書です。25日は、9章1節以下で、イエスが「神の業がこの人に現れるためである」(3)と語って盲人の目を開けたところまででした。
この日が安息日であったことから、ファリサイ派の人々は「その人は、安息日を守らなないから、神のもとから来た者ではない」と断じました。
安息日とは、人が安息して神を礼拝するために旧約聖書が定めた特別な日です。安息とは、休息して体の疲れをとることだとわたしたちは思いがちですが、休みを誰と一緒に過ごすかということも重要です。神を礼拝し、神と共に休むことに安息日の意味があります。神から与えられる安息があることを知ってください。
イエスは、大切な安息日に盲人の目を開けることにより、神から遣わされたまことの救い主であり、イエスのもとに約束された安息があることを明らかにしました。なお、土をこねて男の目に塗りシロアム(遣わされた者)の池で洗うよう指示したことは、自分が神から遣わされた者であることを暗示しています。
一体イエスとは何者かということで論争になり、人々が目を癒された当人にあの者は何者かと問うたところ、「あの方は預言者です」(17)とはっきりと答えることができました。自分の目が開かれ、闇から光へと救い出されたことを当人が何より知っているからです。
イエスとは何者であるかについては、イエスを拒否する者によってではなく、イエスによって救われた者こそが知っています。この後、この人は家族からうとまれ、ファリサイ派から拒絶されるという困難を身に受けるのですが、目が開かれた幸いに比べることはできません。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28-30)