オープンチャーチ 4月21日 日曜礼拝「誰がわたしの友達?」

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オープンチャーチ 4月21日 日曜礼拝「誰がわたしの友達?」

次をクリックすると、説教動画を見ることができます。https://youtu.be/NC2nxhIgNYM



誰が友人か?    ルカ10:25-37
 ウクライナとロシアの戦争に続いてイスラエルとパレスチナ・イスラム諸国との衝突もおこり、わたしたちは人を敵と味方に峻別して争うことが本能であるかのように思えてきます。和解して争いをやめることはできないのでしょうか。

 「わたしの隣人とは誰ですか」(ルカ10:29)と律法学者がイエスに論争をしかけました。そこでイエスがたとえ話しを使って答えたのが、有名な「よきサマリア人」のたとえです。

 あるユダヤ人がエルサレムからエリコに下る途中追いはぎに襲われて瀕死の重傷を負いました。この男を見て、祭司もレビ人も見棄てて立ち去ったのですが、犬猿の仲であるサマリア人が手厚く介抱し、宿賃も払って助けてあげました。

 話しの最後にイエスは律法学者に問いかけました。「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(36)。「その人を助けた人です」(37)。そこでイエスは言いました「行って、あなたも同じようにしなさい」。

 最初の問い「わたしの隣人とは誰か」と、イエスが語った「隣人になる」には、意味に正反対の違いがあります。

 律法学者の「わたしの隣人とは誰か」の問いには、相手を品定めする視線があり、サマリア人は隣人としての資格のないやつらでした。これは、自分の隣人としてふさわしいかどうか、相手を調べる姿勢です。

 イエスのたとえ話しは、自分から隣人になれば誰もが隣人であることを教えるものです。サマリア人が瀕死のユダヤ人の隣人になったことで、この瀕死のユダヤ人は、サマリア人にとっての敵ではなく隣人なのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」とのイエスのことばは、律法学者に対する強烈なパンチです。

 この後、律法学者はサマリア人の隣人になったのでしょうか。では、わたしたちはサマリア人の隣人になることができるでしょうか。

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会
毎週水曜日 14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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