毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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盲人の目を開けるイエス ヨハネ9:1-12
ヨハネ9章は新しい段落です。イエスが盲人の目を開けることで、イエスとユダヤ人との間に新しい論争がはじまります。
イエスが盲人の目を開けたことの意味は、「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」(9:39)ということです。
ユダヤ人との論争の結論は、「今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」(41)です。ユダヤ人の誤りは、何も分かっていないのに、分かっている、見えていると言い張ってイエスが行った救いを認めない点にありました。
弟子たちがイエスに生まれつき目が見えないのは「だれが罪を犯したからですか。本人ですか。両親ですか」(2)と問いました。イエスの答えは「神の業がこの人に現れるためである」(3)です。
弟子たちは過去に理由を求めたのに対し、イエスは神の救いと共にあるこの人の将来に理由を求めました。このことがとても大切です。なぜ目が見えないで生まれたのか、なぜ不幸なことが起こったのか、なぜ戦争が起こったのかなどわからないこと、理由を知りたいことはたくさんあります。
わたしたちは、理由はわからなくても、生きている限り、また社会の一員である限り将来に目を向けることが大切です。
特にキリストにあっては神の救いがあり、人の力では与えられない希望が必ずあることを忘れてはなりません。「神の業がこの人に現れるためである」とは、キリストにある希望のことです。
わたしは、「世にいる間、」世の光であると、限定付の光であるかのようにイエスは語りました(5)。確かに今は天にいて、盲人の目を開けることはありません。しかし「わたしたちは」、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない」、とも語っています(4)。「わたしたち」とは、教会・信者を含んだいい方です。イエスの昇天後は、わたしたちが世の光となることをイエスは知っているのです。キリストにある希望を世に証しすることは教会のつとめです。