毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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決して死ぬことはない ヨハネ8:48-59
わたしの言葉にとどまるならばあなたたちは自由になる(8:31,32)、とイエスが語ってユダヤ人との論争がはじまりましたが、今日の箇所でイエスは「わたしの言葉を守るならば、その人は決して死ぬことがない」(51)と語って、ユダヤ人の敵意をかりたてています。イエスは「わたし」の言葉と語り、自分の権威を強調しています。
ユダヤ人も「アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。・・・父アブラハムより、あなたは偉大なのか」(52,53)と語って、「あなた」はそんなに偉大なのかと反発しています。
イエスは、十字架において自分を死に引き渡すのですが、その死は復活によって無力とされました。イエスにおいて死の恐怖は、復活の喜びにかえられています。そして、イエスを受け入れる者に復活が約束されています。それがイエスの偉大さです。
イエスは自分の偉大さ、すなわち不思議さについて「アブラハムは、わたしの日を見て、喜んだ」(56)、「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』(58)と語りました。アブラハムとは、創世記12章以下に記されているイスラエルの祖先であり、紀元前18Cにまで遡るような人物です。このアブラハムは神とその救いを見たのですが、この神の救いの完成はイエスにあるのですから、自分を見ていたのであると語ったのです。
アブラハムは自分を見ていた、と語ったイエスの言葉を文字どおりに理解したユダヤ人は、まだ50歳にもならないお前をアブラハムが見られるわけがない、と言い返しました。そこでイエスは、自分の正体を「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」と語って明らかにしたのです。「わたしはある」とは、旧約聖書に教えられている神の名前です。アブラハムが生まれる前から、わたしは神である。神として存在していた。神を見た者はわたしを見た。これがイエスです。
キリスト教は、イエスが神のみ子であり、み子の死と復活によってわたしたちに命が与えられたこと、これを信仰の土台としています。