毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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真理はあなたを自由にする ヨハネ8:31-38
イエスが自分のことを「わたしはある」、すなわち神であると語ったところ、「多くの人がイエスを信じた」(8:30)とあります。この信じたユダヤ人とのやりとりが今日の箇所です。
このユダヤ人たちに向かって、イエスは「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(31)と語りました。
キリストによる救いを「自由にする」ことだと語っている点が重要です。自由は大切であることはわかっていても、自由とは何かとあらためて問われると、答えは簡単ではありません。
自由とは、勝手気ままに振舞ってよいことではありません。
人は生まれながらにして自由な存在である。これは人権としての自由であり、今の日本では否定されることはありませんが、長く困難な歴史的・思想的戦いをへて到達した概念です。身分差別・性差別・排外主義・習慣その他により、自由とは一部の者だけの特権でした。結婚の自由、職業選択の自由、移動の自由、思想信条の自由などは近代以降のものです。それゆへ、自由とは手の届かないあこがれであったといえます。
イエスの救いは人を自由にすることである。この意味は重大でした。
この時代、自由人はローマ市民権を持つ一部の者だけであり、ユダヤ人はローマ帝国に占領されていて自由人ではありません。それでもユダヤ人は神の民であり、アブラハムの子孫であるとの宗教的・民族的プライドから自由な者であると自認していました。
このユダヤ人に向ってイエスは、「はっきり言っておく」。罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である」と語りました。これはキリスト教的な自由・奴隷の概念です(ロマ6:15以下)。イエスの十字架は罪と死からの解放であり自由です。
また、もし各人が自分の良心に問うなら、罪を犯す者は罪の奴隷であることに気づきます。人の良心とは、神を敏感に感じるところであり、自分の姿と神の救いの必要を理解するアンテナです。