毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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イエスと女と律法 ヨハネ8:1-11
本日の聖書箇所はカギ括弧〔 〕で挟まれています。これは、聖書研究の結果もともとの聖書にはなかったとされているからです。それでも、教会が古代から聖書の一部として扱ってきたことと、キリストの福音を上手に表していることは確かです。
律法学者とファリサイ派の人々が姦通の現場でとらえた女性をイエスのもとに連れてきました。理由は「イエスを試して、訴える口実を得るためである」(8:6)と記されています。この女性の生き方を心配してイエスのところに連れてきたというのならまだしも、動機が不純です。
「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」(5)との彼らのことばは、レビ20:10、申命記22:24を指しているのですが、この律法をたてにイエスを困らせ、訴える口実を得ようというのです。本当の動機(悪意)を隠し、聖書を使っておとしめようとするのは偽善に他なりません。
イエスは取り合わないでいたのですが、しつこく問い続けたので、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げつけ投げなさい。」(7)と答えました。すると年長者から順に去って行きました。
年長者から去って行ったのは、経験と自分を知る点で年長者がまだ謙虚であるからと考えることができます。今はどうかという点では女性を責めることができるとしても、これまでに罪を犯したことがない者が石を投げろと言われたなら、誰もその資格がないことは明らかです。
また、キリストの福音は、人の罪をあげつらって責めることではなく、自省して自らの罪を認めることを求めます。人の罪を責めることが福音ではありません。
この女性については、一人また一人と去って行ったのであれば、スキをついて逃げることもできたはずですが、最後までイエスのもとにとどまっていました。それゆえ、「これからは、もう罪を犯してはならない」(11)とのイエスの呼びかけが意味を持っています。