毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしの時 ヨハネ7:1-9
ヨハネ福音書6章4節に「過越祭が近づいていた」とありますから、5000人給食は3月から4月の頃。7章2節には「仮庵祭が近づいていた」とあります。仮庵祭は収穫感謝の祭りであるとともに、イスラエルの民が出エジプト後の荒野の40年間をテント(仮庵)で暮らしたことを記念してテントを張って一週間その中で過ごすという楽しいお祭りです。秋祭りですから、6章から7章までに半年がたっています。
また、6章は多くの弟子が離れ去って12弟子が残ったところで終わりましたから(6:66、68)、7章から新たな出発になります。
イエスには「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン・・・姉妹たち」(マルコ6:3)とあるように、何人も兄弟がいました。その兄弟たちは兄であるイエスを信じておらず(ヨハネ7:5)、ここを去ってユダヤに行き、人々に自分を示したらよいではなか、と悪口を言ったとあります。弟子たちが離れ去っただけでなく、再出発においては兄弟の反発が記されており、前途多難であることが暗示されています。
これに対して、イエスは「わたしの時はまだ来ていない」(6)と語って、ガリラヤにとどまりました。「わたしの時はまだ来ていない」とは、イエスがカナの婚礼において母マリアに語り(2:4)、イエスがユダヤ人の手から逃れる時にも指摘される重要なことばです(7:30、8:20)。
イエスがエルサレムに入城した後は、「時が来た」(12:23、13:1、17:1)、「この時」(12:27)など、時が強調されています。この場合の時とは、十字架の時であり、「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」(17:1)とあるとおり、輝かしくも栄光が与えられる時です。ヨハネ福音書は十字架を栄光の時とする点できわだっています。
イエスがガリラヤに留まろうとしたのは、殺されることを恐れたのではなく、父が定めた時を知っていたからです。何事にも神が定めた時があります。それゆえ、時々に起こることをとおして、神がわたしたちの生涯に与えてくださる区切りと、変化に期待をすることができます。