毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしだ、恐れるな ヨハネ6:16-21
ヨハネ福音書は、五千人給食と過越祭を結びつけることで、イエスの救いを出エジプトと関連付けて説明しようとしています。
本日の箇所でイエスが荒ぶる波の上を渡ることは、神がイスラエルを救うために東風を吹かせて紅海を渡らせたできごとに重なります。湖上を渡るイエスを見て恐れる弟子に「わたしだ」と語るイエスは、神がモーセにご自分の名を「わたしはある。わたしはあるというものだ」と語ったできごとに匹敵します。
今日の話は、イエスが弟子たちから離れた状態ではじまります。理由は、パンを食べた人々がイエスを来たるべき預言者と考え、王に担ぎあげようとしているのをイエスが知って、「ひとりで山に退かれた」(6:15)からです。人が自分勝手にイエスの働きや役割を決めることを認めないのがイエスです。
夕方、弟子たちだけで舟をこいでカファルナウムに向かったところ、嵐になって波は荒れ、夜の闇夜になりました。すると荒れた湖の上をイエスが歩いて近づいてきます。それを見て弟子たちが恐れると、イエスは「わたしだ。恐れることはない」と語りかけました。もちろん、嵐は静まり、舟はすぐに目的地に着いたとヨハネは書いています。
紅海を分けて海を渡らせたのは神であり、ここではイエス自身が荒れた波の上を歩いています。また、詩77:16以下には、大水、雨雲、雷鳴、稲妻は神を畏れ、神の道は海の上にあるとあります。イエスは、自分が預言者以上の神であることを弟子たちに示しているのです。
「わたしである」は、英語ではI am、「わたしはいる」、「わたしはある」とも訳せます。神がモーセに明らかにした名は「わたしはある。わたしはあるというものだ」(出3:14)です。ヨハネは、何度も「わたしである」と語るイエスを描いていきます(8:24、58、13:9、18:6)。
昔イスラエルをエジプトから救い出してカナンまで守り支えた神が、今はイエスとしてあらわれ、そば近くにいて、信じる者(教会)をゴールへと確実に導いてくださることを忘れてはなりません。