毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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永遠の命はどこに ヨハネ5:31-47
聖書はわたしたちに語りかける生ける神のことばです。けれども、直接は書かれた時代の人に向けられたものであり、2000年あるいは3000年たって読んでいる今のわたしたちには、書かれたときの事情・必要・切迫感がわからないということがあります。
「あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。」(ヨハネ5:38)。ここでの「あなたがた」とはイエスを拒否するユダヤ人のことです。当時のユダヤ人は、モーセ五書(創世記~申命記)を丸暗記する程読んでいましたから、「父のお言葉(聖書)」をとどめていないとのイエスの言葉は聞き捨てならなかったはずです。
しかし、「父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。」(38)と、その理由を述べています。イエスは、わたしを信じないのであれば、聖書を丸暗記していたとしても、読み方が間違っており、聖書のことばを何一つとどめていないことになると言いたいのです。「聖書はわたしについて証しするもの」だからです(39)。
以上のやり取りは、1世紀ごろのキリスト教とユダヤ教の間での激しい論争を反映しています。旧約聖書の教えの中心はイエスを預言することにある。それゆえ、旧約聖書は十字架のイエスの観点から読まれ、解釈されるべきである。これが初期からのキリスト教の主張です。
ユダヤ教は、イエスを拒絶し、新約聖書を認めず、聖書とは創世記からマラキ書までとします。したがって、旧約聖書という考え方を認めません。そして、神が遣わすメシアを今も待ち続けています。
永遠の命はイエスの内にあるのか(旧約)聖書にあるのか。これが最大の論争点です。しかし、現在のわたしたちはユダヤ教との論争の中で信仰を守っているのではないので、真の切迫感はわかりません。
そうであっても、キリストの教えと行いこそがわたしたちに永遠の命をもたらす、との信仰はいつの時代にあっても、またさまざまな宗教に囲まれていても真理です。この真理の根拠は、結局はイエスのメシアとしての御業にしかありません。