毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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復活と命 ヨハネ5:19-30
イエスが安息日に38年寝たきりであった者を救ったことをとおして、このイエスは何者であるかが問われています。
本日は、三度目の「はっきり言っておく」(25)の内容を見ていきます。イエスは「死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」と続けました。
「今やその時である」は、イエスとサマリアの女とのやり取りにも出てきたように(4:23)、イエス到来と共に全く新しい時がきて、新しいことがはじまることを示唆する言葉です。
新しいこととは、「死んだ者が神の子の声を聞く」ことです。「死んだ者」とは、息絶えた者のことではなく、神の前に霊的に死んでいる者のことです。生死の境は、神を知るか知らないかにある、これがキリスト教信仰固有の死生観です。
「神の子の声を聞く」ことこそ、全く新しいこと、今までになかったことです。神がモーセに直接語ったことや、神が預言者をとおして語るということは、旧約聖書に何度も出てきます。しかし、わけへだてなく、すべての人々が聞く時が今や来ました。何を聞くのか。神の子の声です。神の子の声とは、まことの救い主の声です。十字架においてわたしたちの罪を償い、復活した、永遠の命そのものである方の声です。命そのものの声ということもできます。
「その声を聞いた者は生きる」、「聞いた」とは理解し、受け入れたということです。命の声を受け入れたのですから、死んだ者ではなく生きた者になります。死から命に生き返る時が、イエスとともにおとずれた。これがキリスト教の信仰です。
27節の「時がくると」は、今の時のことではなく、将来の、神が定めた時のことです。その時が来たら、人の子(イエス・キリスト)の声を聞いて、すべての人が墓の中(死)から出てくることになります。命を受けるため、あるいは裁きを受けるために。
イエスとは、死んで復活したゆえに、死と生を司るお方です。