毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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まことの安息 ヨハネ5:1-18
先週から、イエスはわたしたちを死から命へと救い出す方であるという新しいテーマに入りました。
祭りの間の安息日、ベトザタの池の回廊にて、イエスは38年間病気で苦しむ人を見て、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と命じました。すると、たちどころによくなって床を担いで歩きだしました。
この人は、38年間病気で苦しんでおり、自力で池に入れなかったのですから、生けるしかばねのような状態でした。それゆえ、病気の癒しは、死の支配から命への解放であるといえます。
祭りと安息日とは、神の救いを思い起こし、神に賛美と感謝をささげる礼拝のときです。この大切なとき、エルサレムにある神殿は38年間苦しむ者を救うことができず、イエスは「起きて歩け」と宣言するだけでこの人を死から命へと救い出しました。
このできごとにおいて目立つことは、病人はイエスを知らず、助けてもらいたいと願ったわけでもなく、イエスへの信仰・信頼がないことです。それゆえ、今日の聖書箇所は「床を担いで歩け」といったのは「誰か」という点に論点が絞られています。
病人をいやした者がイエスであることがわかると、イエスが安息日に癒し、床を担がせたことに怒ったユダヤ人はイエスを迫害しはじめたとあります。
この批判に対し、イエスは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」(5:17)と語り、自らを父と等しいものとしました。これが病人を癒したのは誰かに対する真の答えです。
このイエスのもとに神の救いと真の安息があることこそが、聖書の教えでありキリスト教信仰です。
なぜなら、イエスの救いの働きは父なる神の働きであるからです。その意味は、イエス・キリストは父なる神と等しい方であるということです。イエスにおいて神を知り、イエスの働きに神の救いを見ることができます。このイエスのもとに命があります。