毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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イエスの言葉を聞いて信じる ヨハネ4:27-42
本日の箇所は、イエスとサマリアの婦人の最後のところです。
婦人が町の人をイエスのところに連れてくるその言い方に興味がひかれます。「わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。・・・この方がメシアかもしれません」(4:29)。婦人は、イエスに問うた礼拝のことではなく、自分のすべてを知っていることとメシアとを結びつけています。自分の驚きそのものが人をイエスへと連れて行く力になることがわかります。
戻って来た弟子たちが「食事をどうぞ」と勧めると、イエスは「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(34)と答えます。わざとズレたやり取りをして、大切な真理に導くやりかたです。食事は体に力を与えるために必要ですが、生きる目的は人生全体を意味づけ、困難を克服して前進する力になります。イエスは神から託された業を「成し遂げること」こそが、3度の食事より自分にとって大切なことであると語りました。
ヨハネ福音書における十字架上でのイエスの最後の言葉は「成し遂げられた」(19:30)です。十字架の死こそがイエスにとっての真の食事、すなわち使命・目的であることが読み取れます。
今こそ刈り入れの時であるとは、後の教会に向けたイエスの呼びかけです。まだ先、今ではないというのは間違った思い込みであることを、教えようとしています。弟子たちの知らないうちに、サマリアの婦人は町の人々にイエスのことを語って聞かせ、連れてこようとしています。そして、2日後には多くの人がイエスを信じるということが起こります。自分たちが苦労したわけでもないのに、多くの実りを弟子たちは目の当たりにし、刈り取ることになるのです。
イエスを信じた町の人々は、婦人に対し、あなたが語ったからではなく、イエスの言葉を自分の耳で聞いて、イエスが世の救い主であることが自分でわかったからだと話します。イエスの言葉により、心が動かされたことにより、人はイエスをキリストと信じるのです。