毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
お気軽にお問い合わせを
「一度礼拝に出席してみたい」
「教会に行ってみたい」
「でも、どうしたらよいかわからない」
そんな時は専用の問い合わせフォームからご質問ください。 担当スタッフが折り返しお返事を差し上げます。 電話でのお問い合わせなら022-245-4960まで。その際 「ホームページを見たのですが」 とお伝えくださると話が通じやすくなります。
初めに言があった ヨハネ1:1-13
今日からヨハネ福音書を読んでいきます。本日は前文です。
ヨハネ福音書は「初めに言があった」ではじまっています。「初め」とはどのような意味であるか、「言」とは何のことなのか、この2つがヨハネ福音書の前文の理解には重要です。
「言」についてですが、14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と書かれています。言は人となってわたしたちのところに来たということであり、言とはイエスとしてあらわれた神のみ子のことです。ただし、受肉して(マリアから生まれて)人々に姿を見せたナザレのイエスのことではありません。受肉する前(イエスとして生まれる前)の神の永遠のみ子について「言」と表現しているこです。
それゆえ「言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった」と続いています。
神と共にあったのであれば、その初めとはどういう意味なのでしょうか。神は永遠なのですから、永遠の神と共にいた「初め」ということになりますが、人間の理解を超えているように思えます。「永遠の昔から」というと日本語でも分かった気になりますが、それに近いことばで「永遠の初めに」、「永遠の永遠から」と考えざるをえない言葉です。
そのような「初め」に存在した「言」なる方がヨハネ福音書の主役、イエス・キリストであるということです。
創世記は「初めに、神は天地を創造された」(1:1)ではじまりますが、この場合の「初め」とは創造のみ業の「初め」にという意味であり、難しくはありません。天地の初めは神の創造によるということです。
「言の内に命があった」(4)、「言は人間を照らす光であった」(4)は、ヨハネが福音書をとおして明らかにする主題です。
言は世に来たが、この言を拒否する者と受け入れる者がいるが、受け入れる者には神の子となる資格が与えられる(12)。この神の子たちは、まことの命に生きるよう神によって招かれた者たちであり、神によって生みだされたのである(13)。