2023年5月7日(日) 日曜礼拝「初めにことばがあった」

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2023年5月7日(日) 日曜礼拝「初めにことばがあった」

次をクリックすると、説教動画を見ることができます。https://youtu.be/4AJNPaZuA5Q



初めに言があった ヨハネ1:1-13

 今日からヨハネ福音書を読んでいきます。本日は前文です。

ヨハネ福音書は「初めに言があった」ではじまっています。「初め」とはどのような意味であるか、「言」とは何のことなのか、この2つがヨハネ福音書の前文の理解には重要です。

「言」についてですが、14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と書かれています。言は人となってわたしたちのところに来たということであり、言とはイエスとしてあらわれた神のみ子のことです。ただし、受肉して(マリアから生まれて)人々に姿を見せたナザレのイエスのことではありません。受肉する前(イエスとして生まれる前)の神の永遠のみ子について「言」と表現しているこです。

それゆえ「言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった」と続いています。

 神と共にあったのであれば、その初めとはどういう意味なのでしょうか。神は永遠なのですから、永遠の神と共にいた「初め」ということになりますが、人間の理解を超えているように思えます。「永遠の昔から」というと日本語でも分かった気になりますが、それに近いことばで「永遠の初めに」、「永遠の永遠から」と考えざるをえない言葉です。

そのような「初め」に存在した「言」なる方がヨハネ福音書の主役、イエス・キリストであるということです。

 創世記は「初めに、神は天地を創造された」(1:1)ではじまりますが、この場合の「初め」とは創造のみ業の「初め」にという意味であり、難しくはありません。天地の初めは神の創造によるということです。

 「言の内に命があった」(4)、「言は人間を照らす光であった」(4)は、ヨハネが福音書をとおして明らかにする主題です。

 言は世に来たが、この言を拒否する者と受け入れる者がいるが、受け入れる者には神の子となる資格が与えられる(12)。この神の子たちは、まことの命に生きるよう神によって招かれた者たちであり、神によって生みだされたのである(13)。

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会
毎週水曜日 14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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