毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしの主、わたしの神 ヨハネ20:19-29
本日は復活したイエスを弟子たちが受け入れていく様子を見ていきます。
イエスが2度弟子たちに現れるのですが、「その日、すなわち週の初めの日」(20:19)、また「八日の後」(26)と記されており、両方とも日曜日です。日曜日に主が復活したので、教会はこの日を「主の日」(黙1:10)と呼び、復活の主を礼拝するようになりました。本日の聖書箇所は、復活の主とお会いするのが主日の意味であることを明らかにしています。
ユダヤ人を恐れて隠れていた弟子たちに、復活のイエスは手とわき腹とを見せました。これは、弟子たち、また教会が復活の主の証人となるためであることを端的に示しています。このときそこにおらず、疑うトマスには、イエスは指と手でじかに触ってみよとまで命じました。復活した事実をより具体的にわからせようとするものです。
トマスは「指を釘の跡に入れ、・・・手をわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(25)と語っていたのですが、そのことをイエスが知っていることに驚き恐れました。それは神が人を見ること、知ることと同じであるからです。この時、トマスはイエスの復活を信じただけでなく、「わたしの神、わたしの主」としてイエスを信じてひれ伏したのです。すなわち、「イエスは神の子であると信じるためであり、また、信じてイエスの名によって命を受けるためである」(31)。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(29)は、トマスにではなく、わたしたちを含めたこの後の読者に語られたことばです。わたしたちは、復活のイエスを目で見たのではなく、教会の福音宣教をとおしてイエスを「我が主、我が神」と信じているのですから。Ⅰペトロ1:8,9によるなら、キリストを見たことがないのに愛し、信じているのは「魂の救いを受けているからです」とあります。
「あなたがたに平和があるように」ということばが3度も出てきます(19,21,26)。これは戦争のない平和の意味ではなく、神に救われ、永遠の命に生かされる平安、喜び、満足のことです。