毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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我が神、我が神 マルコ15:33-41
今日から受難週に入ります。
イエスが十字架につけられたのは午前9時(15:25)。12時に全地が暗くなり、3時にイエスは大声で叫びました。「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。この叫びにはいくつもの意味があります。
第一に、神に捨てられて裁かれる者の苦悩です。ただし、わたしたちの身代わりとなったメシア・イエスの苦悩ですから、神に裁かれる苦悩からわたしたちは解き放たれました。
第二に、神への嘆きです。イエスの死は正しい者の処刑であり、理不尽を嘆く叫びです。ただし、神をわたしの神「我が神」と呼び、神に向かって嘆くのですから、嘆くこともイエスとわたしたちに共通する神の子の姿です。神への嘆きは、不信仰なことではなく、父なる神に信頼する者の当然の振る舞いです。
第三に、この「我が神、我が神、なぜ・・・」との嘆きは、詩編22編の語り出しのことばです。この詩編は22節まで嘆きに嘆きを重ねるのですが、23節以下で救い出された者の深い神賛美に変わります。イエスは、ただ嘆いてこの一節を口にしたのではなく、22編全体を神にささげたのです。イエスの受難をとおして罪と死の支配からわたしたちを救い出す神の救いのみわざを讃えるイエスの姿がここにあります。
イエスが息を引き取ると「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(38)とあるのは、「おやおや、神殿を打ち壊し、三日で建てる者」(30)との見物人の嘲笑が実現したことを意味します。イエスの十字架後、神殿での神礼拝は終了し、イエスの名を呼んで礼拝することがまことの神礼拝になりました。
この礼拝改革により、聖書の宗教は神殿を中心とするイスラエルの民族宗教であることを終え、イエスの名を呼ぶ世界宗教に進化しました。百人隊長の「本当に、この人は神の子だった」(39)とのことばは、異邦人がイエスを神の子と告白する新時代の到来を示しています。