毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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イエスを十字架に マルコ15:16-32
イエスの十字架のできごとは、人間的には見る影もない姿です。
ピラトがイエス死刑を決定した後、ローマの兵士たちは一晩中あらん限り侮辱しました。そのため、イエスは十字架をかつぐ体力もなくなり、兵士は通りがかりの男に無理やり十字架をかつがせました。また、通りがかりの者も祭司長や律法学者たちもあらん限りの罵声をあびせました。
ではイエスの十字架はみじめな敗北であったのかというと、そうではありません。十字架を担がされた男は「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」(15:21)であったと記されています。このような記述は、後の教会の中でよく知られた人物になっていたことをあらわしています。息も絶え絶えのイエスにかかわったシモンが後にイエスのしもべになったことは、イエスの受難が敗北ではなく勝利に終わるものであることを示しています。
「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」これは祭司長たちの嘲笑ですが、ここに十字架のキモ、最も重要な真理があらわれています。十字架から降りなかったからこそ「メシア、イスラエルの王」となったからです。
今、世界中に十字架が掲げられていますが、そこにイエスはいません。十字架の死にとどまったのではなく、復活し、今は信じる者のかしらとして天におられます。
「ユダヤ人の王、万歳」(18)、罪状書きの『ユダヤ人の王』(26)、「メシア、イスラエルの王」(32)と繰り返しあびせられた嘲笑は、逆接的にイエスについての真実を証しすることばになりました。
王とは、敵と戦って勝利することで力と威厳に満ち、人々を従わせる者です。イエスは十字架の上で罪と死と戦かい、復活によって罪と死を無力にした王です。そのことを理解し、わたしたちはイエスに従いました。キレネ人シモンも死に向かうイエスと出会い、復活のイエスに従う者になったのです。