毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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新しい命に生きる ロマ6:1-14
本日は「新しい命に生きる」との説教題ですが、キリストの復活とわたしたちの救いの関係について考えます。
5章12節以下に、アダムによって人の中に罪と死が入ってきたが、イエス・キリストによって新しい命(永遠の命)がもたらされたことが教えられています。この新しい命にあずかって生きることが救いであり、救われるということです。この新しい命は、キリストの復活によってわたしたちにもたらされたものであり、キリストの復活なしに救いはありません
今日の聖書箇所の冒頭に「罪に対して死んだわたしたち」(6:2)と出てきます。「罪に対して死ぬ」はパウロ固有の言い回しで、罪と完全に縁を切った、無関係になった、罪の支配から解放されたという意味です。キリストを受け入れた「わたしたち」は、罪の支配下にはないということです。
その理由は、復活したキリストに信仰によって結ばれているからです。洗礼はキリストとの結合をしるしづける儀式であり、洗礼を受けた者は、復活のキリストにあずかっていることを疑う必要はありません。
このキリストは、罪がもたらす裁きとしての死を受け、墓に葬られ、復活によって死を無力にした方です。それゆえ、このキリストにあずかることで、わたしたちは罪と死の支配から解放されています。
実際には、わたしたちも日々罪を犯すのですが、キリストにあずかっているので、罪の償いを果たして赦された者として堂々と神の前に立つことができます。このことをパウロは「あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」(11)と書いています。
「神に対して生きている」とは、神と共に生きているということです。神の子とされているということもできます。それゆえ、クリスチャンの人生は、救われた者としての人生であり、感謝とよろこびに満ちた生涯です。これが新しい命に生きるということです。