毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしの中に住む罪 ロマ7:14-25
今はマルコ福音書を離れて、キリストの復活を記念するイースター礼拝(4/9)の準備として、キリスト教信仰の基本的なテーマを扱っています。
本日は、罪と死のとりことされている人間の悲惨な状態についてロマ書7章から考えます。読んで楽しくなる教えではありませんが、イエス・キリストの十字架の死とわたしたちの救いを理解するためには大切な内容です。
著者であるパウロは、自分自身について「わたしは肉の人で、罪に売り渡されています。」(7:14)と書いています。
「罪に売り渡されています」とは、罪に支配・翻弄されているため、自分の望むとおりに自分自身をコントロールできない状態にあることを嘆くことばです。この場合の自分の望みとは、律法(規範)にしたがって神と共に善く生きることです。なぜなら、神に創造された人間にとって、神と共に生きることが本来の姿であるからです。
にもかかわらず、「もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。」(20)。「わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。」(23)、と書いています。「わたしの中にある罪」また「罪の法則のとりこ」という言い方は、もはや自分ではなすすべがなく、無力であって、キリストの救いが必要だということです。
キリストの救いについて、8章2節に次のように記されています。「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放した」。
法則とは支配と言いかえられます。十字架の死と復活によって罪と死を無力にしたキリストの支配のもとで生きるか、罪と死の支配のもとで生きるのかを問うのがキリスト教です。
イースターを前にして、キリストの復活の中にわたしたち自身の命と復活があることを考えてください。