毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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その日、その時は誰も知らない マルコ13:28-37
マルコ13章の目的は、終末の前兆を否定し、イエスこそが本当の意味でしるしであることを教えることにあります。
「これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」(29)とあります。これらのことの中心は、イエスが予告した神殿崩壊(13:2)です。ただし、建物の崩壊以上に、神殿が宗教的に無意味・無用になることであり、このことは、キリストによる贖いが実現した時におこりました。イエスが十字架で死んだとき、まことの犠牲がささげられたゆえ、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け」(15:38)て聖所が無くなり、以後神殿は無用の長物になりました。そして、70年には文字どおり崩壊しました。教会の世界宣教(13:10)とその苦難(9)が始まったことも「これらのことが起こるのを見たら」のこれらのことです。
「人の子が戸口に近づいている」とは、終末をもたらす人の子イエスがまさに現れようとしているということです。
「近づいている」とは、時間的に近いということではありません。人の子であるイエスが地上で贖いの御業をなし終えたあと、メシアの御業として残っているのは、もう一度到来して世に完成をもたらすことだけです。イエスの昇天後、この再臨がいつ起こってもおかしくありません。いわばマグマがたまっていつ噴火してもおかしくないというごとく、準備万端整いました。最後の一手(再臨)が残るだけなので、これを人の子が「近づいている」と言い、夏が近いことにたとえました。
では何時なのか、と問いたくなりますが、「その日、その時は、誰も知らない。…子も知らない。父だけがご存知である」(32)のです。人の子の再臨は必ずあるので、いつ来てもよいように「目を覚ましていなさい」。これがキリスト教終末論の基本です。
「目を覚ましているとは」、特別なことではなく、希望をキリストに置いて信仰生活を続けることです。
終末の前兆はありません。しかし、死んで復活したイエスが天におられることが、救いの完成をもたらす終末のしるしです。