毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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枯れたいちじく マルコ11:12-26
イエスがいちじくを呪ってエルサレムで宮清めを行った翌朝、一行が通りかかるといちじくの木が根元から枯れていました。実の無いいちじくが枯れたことは、実体を失った神殿と神殿宗教であるユダヤ教が根本的に廃止される運命にあることを示しています。
神殿はイエスの十字架のおよそ40年後にローマ軍によりこっぱみじんにされます。また、ユダヤ教は神殿を失ったことで、神殿中心から律法中心の宗教へとかたちを変えざるをえなくなります。
キリストの復活後にエルサレムで生まれたキリスト教は、最初期には使徒言行録に記されているように神殿との関係を保っていました。しかし、ユダヤ教と対立するようになると神殿を捨て、家々における教会を信仰生活の拠点にしました。このことにより、教会は神殿とのつながりを持たない宗教として全世界に進展し、世界宗教となることができました。
旧約聖書を正典とするかぎり、神殿との関係を断ち切ることは容易ではないようにも思えますが、エルサレム入城直後にイエスが神殿を完全に否定した事実が後の教会に正しい選択をもたらしたといえます。
マルコ福音書はキリスト教が神殿を捨てた後に書かれているので、今日の箇所は上記の歴史的背景をふまえています。では、神殿をなきものにして、何を神殿の代わりにするのでしょうか。
いちじくの木が根元から枯れていますとの弟子の声は、イエスにとって「神殿が崩壊しています」と同じです。そこでイエスは応えました。「神を信じなさい」(11:22)。今では当たり前のことですが、神を信じることが聖書信仰の中心であり、神殿という施設や動物犠牲を神にささげる儀式は信仰があってのことであり、無くてもよいものです。簡潔ですが、神殿の必要ではなく、信仰こそが必要であると教えたのです。
「山に向かって、飛び込め」とは、エルサレム(神殿)は山の上にありましたから、信仰によって願うなら、エルサレムも神殿もいらない自由な信仰の時がくると解釈するのはどうでしょうか。