毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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心が頑固なので マルコ10:1-12
前後の関連を考えながらマルコ福音書を読んでいますが、イエスが離縁について語る本日の箇所は、前との関連のない唐突な内容のようにも見えます。
書き出しに「イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた」(10:1)とあります。ここに、今日の箇所を理解する鍵があります。「ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた」とは、これまではガリラヤとその周辺の異邦の地を巡っていたのですが、そこを去ってエルサレムに向って舵を切ったという意味です。これは9:31の第2回受難予告の枠組みにそった行為です。
エルサレムへと向かったとたん、イエス殺害を計画するファリサイ派(3:6)が近づいてきて難癖をつけることには、両者の敵対的な関係とイエス処刑を暗示する特別な意味があります。
彼らは「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」(2)と尋ねましたが、「イエスを試そうとしたのである」とあるとおり、悪意に満ちた問です。イエスは、モーセは何と命じたかと返し、彼らは申命記24:1-4を引用して答えました。するとイエスは、天地創造における人間創造と結婚制定における神の意図を持ち出して、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と締めくくりました。
今日の箇所は、離縁問題へのイエスの回答というより、ファリサイ派的なものの考え方に対するイエスの拒絶が主題です。
イエスは、①離縁の問題を結婚の神聖さの問題に置き換え、②律法にかなっているかとの問に対して、創造の秩序を持ち出して答えています。これは、ファリサイ派が持ち出した問いそのものと答えの出し方の両方を否定しているのです。
この後、ユダヤ当局のイエスに対する「問題視」と「答えの出し方」の両方が、イエスの考え方とは正反対であることがいっそう明らかになり、イエス処刑にいたります。イエスは、人の罪と神の救いについて、当局の律法理解を超えて判断し、救いのみ業を実行していきます。