毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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誰がいちばん偉いか マルコ9:30-41
イエス自身による2度目の受難予告の後、弟子たちに対する信仰教育が続いていくのですが、今日の箇所はその始まりです。
受難予告の直後、弟子たちが自分たちの中で誰がいちばん偉いかと議論をはじめました。情けないように思えますが、イエス受難の意味がわからない限り、いつまでも俗物であって本当の弟子になれないことを端的に示しています。
一番になりたければすべての人に仕えよ、とイエスは語りました。すべての人に仕えよ、とは自分より下の者は誰もいないということであり、しもべ、奴隷になれということです。「すべての人に」の具体例として、子供を受入れ、仕えなさいと語りました。今日、子供は宝です。しかし、あの時代ではつまらないもの、価値のないものとされていました。その子供のしもべとなれと弟子に教えました。
罪人を救うために自らを十字架にかけるというイエスの受難の意味を悟ったとき、この教えを受け入れ、イエスにならって、すべての人に仕えることができるようになります。
次に、自分たちの仲間でない者がイエスの名を使って悪霊を追い出していたことについて、「わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」と語ると、「やめさせてはならない」と命じるイエス。]
「わたしたちに従わない」ことがいけないことなのか。わたしたちだけが弟子であり、わたしたちだけがイエスを知っているとの考えは傲慢であり、「わたしがいちばん偉い」という過ちと同根です。
誰がいちばん偉いのか、どのグループがいちばん立派で正しいのか。この問題は、その後のキリスト教の歴史にとって抜けないトゲになりました。「わたし」や「わたしたち」以外は間違いで、わたしたちに従わないのでやめさせようとするところに、正統と異端の問題が起こります。宗教改革時代の敵意と殺害とは、わたしたちが正しく、わたしたちに従うのか従わないのかを、各教派が主張し合ったことから出てきたといえます。その根は、イエスの受難の意味を理解していないところにあるのかもしれません。