毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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今年のイースターは4月17日です。今日から、ルカ福音書をとおして十字架の意味を考えていきたいと願います。
逮捕直前について、「いつものようにオリーブ山に行かれると・・・。いつものよう場所にくると」(22:39,40)と、「いつものように」が強調されています。これは、ユダが裏切って当局者の手下を連れに行ったことを知り、「いつもの場所」で待っているという意味です。
イエスは弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」(40)と語り、少し離れて「父よ、御心なら、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願ではなく、御心のままに行ってください」(42)と祈りました。死ななくてよいように、しかし父のみ心がなるように、と相反することを祈っているのですが、両方ともイエスの本心です。
これは葛藤に満ちた祈りであり、死から逃れたいという誘惑との激しい戦いです。誘惑とは、本心から出てくるものであるゆえに陥りやすいこと、また祈りによってこそ誘惑を退けることができることが、このイエスの姿からわかります。
イエスの十字架の苦しみは、肉体的には十字架につるされたときですが、メシアとしての苦悩という点ではこの時であったといえます。
誘惑を退けて立ち上がったとき、ユダがあらわれ、接吻によって裏切られ、逮捕されました。
このとき、弟子がつるぎで切りつけ、捕えに来た手下の右耳を切り落とすということが起こりました。イエスはそれを制して、耳にふれていやし、「今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている」と語って、彼らの手に自ら落ちていきました。弟子を鼓舞して逃げることもできたはずですが、そうしなかったのは、助かりたいという誘惑を祈りによって克服していたからです。
その後に起ったことは、弟子たちにとっては文字どおり闇が力を振るっているように思えたはずです。けれども、イエスが自ら選び取ったメシアとしての道であり、罪人を救うという天の父の御心が実現するためのできごとでした。闇が力を振るっているように見えても、神の御心だけが固く立つことを忘れてはなりません。