毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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説教要旨
イエスが「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(2:22)と語ったところを先週見ました。
今日は、イエスにより、当時の安息日理解という古い革袋が張り裂ける場面です。
安息日にイエスの弟子たちが麦の穂を摘んでいるところを見て、安息日にしてはならないことをしているとファリサイ派の者が非難しました。穂を摘むとは労働であり、安息日の規定に違反したというのです。
安息日を聖別するべきことは十戒の第四戒に定められた重要な定めです。聖別するとは、神礼拝のために他と区別して取り分けるとういことです。それゆえ、他の日に行っている労働を休み、神を礼拝するための日とすることが求められました。
また、イスラエルの民が神に従わなかった時、神は「安息日を汚した」(エゼキエル20:13)と非難したほどです。安息日を汚したとは、神との聖なる関係を汚したという意味です。これは、安息日とは、神がイスラエルの神となって民を救うこと、イスラエルがこの神の民となること、これを互いに約束した記念の日であるという意味があったからです。
これほど重要な意味があったため、当時は安息日を守ることに過度に必死となり、きゅうきゅうとしていました。
ファリサイ派の非難に対して、イエスは、ダビデだって決まりを破ったことがあるじゃないか、安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない、と語りました。人と規則との関係について、考え方が転倒しているということです。
「人の子は安息日の主である」とも語りました。神の救いを記念するための安息日は、わたしの日であり、わたし自身が安息・神の救いそのものであるとの主張です。イエスと共にいることに安息・神の救いがある。この真理により、ファリサイ派の古い革袋は破れてしまいました。