毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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説教要旨
今日の箇所は、重い皮膚病をわずらう者をいやす場面です。
「重い皮膚病」については、今日でいう単なる皮膚病としての扱いではなく、神の前に汚れたものとされていました。レビ記13章以下にこの病の定義・扱い方・清めの規定が記されています。以前はライ病(ハンセン病)のことと考えられていましたが、今ではハンセン病でないことは分かっているのですが、いかなる病気あるいは現象であったかについて、わからなくなっています。
しかし、宿営の外に住まねばならず、自分で「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらなければならないとも定められていたので(レビ13:45-46)、重たい宗教的な意味により、生けるしかばねのような境遇を強いられていたといえます。
この人は、イエスなら清めて、救い出してくれるに違いないと考え、「み心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願い出ました。「み心ならば」とは、イエスがゲッセマネの園で御父に祈った時にも発したことばです。
「できるかできないかわからないけれど」という意味ではなく、「できます。できるはずです。それゆえ、願いを受け入れてください。であれば、この身に起こります」との訴えです。これは神にしか向けることのできない願いです。
「清くすることができるはずです」は、単なる病気を直すとの意味ではなく、宗教的な清めであり救いです。
イエスは手を伸ばして当人に触り、「清くなれ」と語りました。汚れに触ることをいとわないイエスの振る舞いは、わたしたちの宗教的ケガレ(罪)を一身に負って十字架に自らのぼる姿に重なります。
イエスは、旧約が果たし得なかった完全なる救いを実現し、理不尽と思える旧約伝統・規定を一新することをなさるお方です。キリストの救いは、わたしたちを重々しい伝統から解放し、新しい価値観、人生の展望をひらく力があります。