毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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説教要旨
イエスは「時は満ち、神の国は近づいた」と語りました。「国」とは支配という意味です。今日では、国は国境によって境界が定められていますが、当時は王の支配権のおよぶ範囲が境界であり、権力如何により国は容易に大きくも、小さくもなりました。国とは支配権が実際におよぶ範囲のことであったといえます。その支配は、戦って勝ち取るものであるゆえ、力による支配であり、力で従わせるものでした。
神の国も神の支配という意味です。この場合の支配は、地上の国が力の支配であったのとは違い、キリストの復活の命と恵みによる支配です。キリストのもとに永遠の命があることを知り、自発的に、よろこんで従う者において、地上に神の国が実現しました。
それゆえ、神の国の到来は、キリストの復活と、復活の命に生きるキリスト者が起こされることで実現しました。そして、今も、キリストをまことの救い主と信じ、喜んで主と仰ぎ見る者たち(教会)により、神の国は続いていきます。
マルコ1:16以下は、イエスに従う弟子、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを文字どおり呼び起こす場面です。この出来事には、イエスに従うとはいかなる意味であり、具体的にどうすることであるかが示されています。また、最初の弟子の召命は、教会づくりの第一歩という意味合いもありました。
弟子としてイエスに従うことは、イエスの呼びかけによってはじまります。この点は、今でも同じです。また、従うとは、「二人はすぐに網を捨てて従った」とあるように漁師をやめた、また「この二人も父ゼベダイを・・・舟に残して、イエスの後について行った」とあるとおり親との関係さえ変えた、と記されているほどの決断と生き方の根本的変更が求められることです。
ただし、「人間を取る漁師」への召しであり、教会の基礎となる使徒への召しという特殊性もありました。今日、誰にでも転職が求められるということではありません。求められるのは主に従うことです。