毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
お気軽にお問い合わせを
「一度礼拝に出席してみたい」
「教会に行ってみたい」
「でも、どうしたらよいかわからない」
そんな時は専用の問い合わせフォームからご質問ください。 担当スタッフが折り返しお返事を差し上げます。 電話でのお問い合わせなら022-245-4960まで。その際 「ホームページを見たのですが」 とお伝えくださると話が通じやすくなります。
説教要旨
エフェソ書は、今日の箇所から「妻と夫」、「子と親」、「奴隷と主人」という家の中での関係を順に取り上げているのですが、重要でありつつ非常にむつかしいテーマと内容です。むつかしい理由は、あの時代の信者のために書いているため、あの時代の社会と実際の関係がわからないと、パウロの真意が本当にはわからないからです。とくに奴隷と主人への勧めは読み解くのが困難です。
パウロは、夫ではなく、妻に対する教えからはじめています。妻たちよ、夫に仕えなさい、夫は妻の頭だから。次に、夫たちよ、妻を愛しなさい、という順です。
今日強くいわれている夫婦の対等な関係を前提にしているようにはどうも思えません。当時のローマ社会において、妻は夫の財産という位置づけなので、また旧約伝統にも、男女間、夫婦間に上下関係が見られるので、パウロはそれを受け入れているのでしょうか。一般論をいえば、パウロが時代の風潮から何の影響も受けていないということはありえません。
ですが、両者の関係をよりよいものにしたいと考えていることは確かです。何より、「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(21)とのことばをもって議論を始めています。互いに仕え合う、という点で対等です。その動機は、キリストに対する畏れです。
このキリスト教固有の「仕える」ということの意味が、身分・関係における上下をこえる貴い行為なのであれば、夫に仕えることの意味も変わってきます。それゆえ「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」(22)とあるのです。夫は妻の頭の意味も、単なる殿方ということではなく、「キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです」(23)、という意味づけです。
妻を愛せよ、との夫への教えも、「愛する」ことのキリスト教的意味づけが重要です。