毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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ヨハネ19:17に、イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」ゴルゴダというところに向かわれた、とあります。他の福音書には、イエスが疲れ切っていて十字架を担ぐことができなかったので、キレネ人シモンに十字架を無理やり背負わせたと書いてあります。
十字架のできごとはイエスの使命であり、生涯のクライマックスであるので、ヨハネは、イエスの生涯全体が自分の十字架を背負って自らゴルゴダに向かうものであったことを象徴的に書いているのです。
イエスの最期の姿、「イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」(19:30)も、ギリシア語では頭を垂れて「霊(息)をお渡しになった」と書いてあります。使命を果たしたことを知り、自ら生涯を閉じたのであり、その意味では、殺されたのではありません。
十字架のできごとを引き起こし、最後の幕を引いたのもイエス御自身です。
ローマの兵隊がくじを引いてイエスの服を分けあったこと、イエスが「渇く」と語ったことは、旧約聖書が成就したことだとわざわざ記されています。これは、詩篇22篇の19節、16節を直接はさしています。けれども、これらの聖句ではなく、22篇全体が成就したことを意味します。
是非22篇全体を繰り返し読んでください。前半は詩編全体の中でも際立つ嘆きの詩です。けれども、23節から朗々たる賛美の詩になっています。
22篇は、十字架のできごとに秘められたイエスの苦難と勝利をみごとにあらわしています。それゆえ、メシアを預言する最も重要な個所のひとつなのです。
どの福音書も十字架で苦しむイエスの姿をほとんど描きません。イエスの死の意味も、直接説明することもありません。しかし、引用されている22篇が苦悩するイエスと、それゆえの勝利と栄光を描いています。ご自分で読んでください。