毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
使徒信条解説14 生ける者と死ねる者とを審きたまわん
使徒信条におけるイエス・キリストについての項の最後は「生ける者と死ねる者とを審きたまわん」です。再臨したキリストが世を審くことで救い主としてのみ業が完成します。
「生ける者」とはキリストの再臨時に生きている人のこと、「死ねる者」とはその時にはすでに亡くなって眠りについている人のことです。世の終わりの時は誰にもわからず、突然来るのですが、その時に起こるのがキリストによるすべての人についての審きです。
神が世を裁くのですが、具体的にはみ子イエス・キリストがこれを行います。父は「裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。」(ヨハネ5:27-29) マタイ25:31以下には、人の子であるイエスが天使と共に栄光の座についてすべての者を集め、羊と山羊とを分けるように皆を右と左に分けて審くことになる、という有名な教えがあります。
これらの聖書の記述は、神の神秘を示すため、象徴を多用した黙示的表現であり、文字どおりに実現するわけではありません。
この最後のできごとは、キリストを何者であるかと判断したわたしたちが、その判断にしたがって、今度はキリストによって判断される(審かれる)ことに他なりません。
それゆえ、その時、思いもよらないキリストの審きがわたしたちにくだるということはありません。キリストを信じる者は罪がゆるされ、神の子として永遠の命に生きることができる。これが福音の約束です。この約束・祝福は、キリストを信じた時に各人に与えられています。このすでに与えられている祝福が、キリストによって公に宣言され、栄光のみ国に入れられることになります。わたしたちがキリストを受け入れたとおり、神によって公に受け入れられるのが最後の審判です。
それゆえ、恐れることなく、その時を待ち望むことができます。