使徒信条解説 6

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使徒信条解説 6

我は、その独り子、我らの主イエス・キリストを信ず  

 
 「その独り子」とは、父なる神の独り子ということです。人間の子は同じく人間であって、猫の子ではないように、神の子であれば同じく神ご自身です。この神のみ子、主イエス・キリストをたたえ、この方に祈り、礼拝をささげます。すなわち、信じるのです。

「我らの主」とは、わたしの主ではなく、「わたしたち」の主です。「わたしたち」とは、過去・現在・将来にわたってキリストによって救われるすべての者を指しています。イエスを主とすることで、時間(歴史)と空間(天上と地上)を超えた信者の一致が生まれます。この一致はもちろん教派を超えるものであり、目に見えない唯一のまことの教会を形成しています。わたしたちは、カナン教会という東北地方の小さな教会の一員ですが、天上と地上をつらぬく教会の一員でもあることを忘れないようにしましょう。

 主とは、主人であり、わたしたちがイエスのしもべであることを意味します。このことは、以前は罪と死のとりこであり、奴隷でしたが、今はイエスにしたがう者となったことを意味します。イエスのしもべであるとは、イエスが勝ち取った永遠の命と自由にあずかって生きる者になったということです。

「イエス」という名前は、マタイ1:21、ルカ1:31を読むと、赤子が生まれる前に神が両親に示した名前です。イエスとは、神の救いという意味であり、イエスにこそ神の救いがあることをわたしたちは信じます。

「キリスト」とは、旧約聖書の言語であるヘブル語「メシア」のギリシア語訳です。メシアとは、油注がれた者という意味で、油を注ぐ儀式をとおして神が預言者や祭司や王をその任に就けました。これに由来して、神が遣わす約束の救い主をメシア(キリスト)と呼ぶようになっていました。イエスがメシア(キリスト)と呼ばれるのは、イエスの登場が旧約預言の成就だからです。
神の独り子、主イエス・キリストという言い方は、イエスとはいかなるお方かについて明らかにしているという点で重要です。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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