毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
「天地の造り主」である父なる神を信じるとは、創造者である神と被造物である世界(人を含む)との区別が厳然としてあることを意味します。逆にいえば、太陽や山や人を神としてあがめるという考えが入り込む余地はありません。日本人は自然の中に神がいる、自然と神は一体であるという考えに古代から親しんできましたが、そのような自然と神についての関係というものは聖書にありません。
ただし、芸術作品に作家の個性が刻印されているように、神が創造した世界には、神のすばらしさや神々(こうごう)しさがあふれています。旧約聖書の詩篇には、自然の美しさに心を打たれて神を賛美する詩が多数ありますし、「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。」(ロマ1:20)とも聖書は書いています。その意味で、自然の中に神を見ることはまと外れなことだとは言えません。
創世記1章の創造物語を読むと、神が創造した天と地は「極めて良かった」(創1:31)と記されています。それゆえ、「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはない」(Ⅰテモ4:4)ということができます。
そして父なる神は、全能の力によって、すべてのものと一切の出来事を支配し、被造世界全体を神の定めた目標に向かって導いておられます。その目標とは、神の国の完成であり、人類の救いの完成です。この目標とは、創造した世界が人の背信という罪によって壊れてしまったので、み子をとおして、もう一度本来の世界を取り戻すことです。被造世界全体に対するこの支配が、宇宙や人類の歴史として展開されています。神のこのみわざが摂理(せつり)です。この摂理の中で、キリストの救いにあずかったことを感謝する者は、神の摂理に信頼し、試練の中にあっても神を見失うことなく信仰の道を歩むことができます。
世界は偶然にはじまり、偶然が支配するのではありません。神が創造した意味ある世界にわたしたちは生きているのです。